西郷隆盛 16〜人を見る目・志士との邂逅・適塾・橋本左内〜|幕末の時代と志士たち

前回は「西郷隆盛 15〜広がる輪・藤田東湖・橋本左内〜」の話でした。

西郷 隆盛(国立国会図書館)
目次

適塾

越前藩士 橋本 左内(Wikipedia)

越前藩主・松平春嶽の懐刀として活躍していた、橋本左内。

彼は、緒方洪庵が設立した適塾出身の医師で、若い頃から非常な秀才でした。

敵塾からは、非常に多くの優れた人物が出ています。

左上から時計回りに大村益次郎、福沢諭吉、橋本左内、大鳥圭介(Wikipedia)

この中で最も有名なのは、福沢諭吉でしょうか。

これだけ多士済済の人物を輩出した適塾の存在は、非常に大きなものです。

藩のカラーと人物

当時、一気に世界が広がり、薩摩以外の人物との出会いが一気に増えた西郷。

強烈なカラーを持つ薩摩藩出身の薩摩藩士たちは、どうしても「一種の共通点」が出ます。

その共通点は、人格を作る骨格となり、その人物を作り、未来を作ってゆきます。

当時、最も多くの人物が出た、薩長土肥。

この四つの藩から出た人物たちは、やはりそれぞれ「同じ藩のカラー」が染み付いているように感じます。

土佐は板垣退助・谷干城の話をしました。

板垣 退助(Wikipedia)

板垣と谷には、大きな共通点があります。

肥前の江藤新平、大隈重信たちに関しても、改めてご紹介します。

基本的に生まれてからずっと強いカラーの中で育ち、社会人になった当時。

藩の特色・カラーは非常に強い影響を与えました。

それは、現代においても同様で、やはり世界各国の方には一定の特徴があります。

欧米から見ると「外見が似ている」アジア人でも、日本人・中国人・韓国人では全然違います。

独特のカラーを持つ私立中学は、子どもにとっては「当時の藩」に相当する影響を持つのでしょう。

人を見る目

西郷と橋本。

お互い名士であり、

お互い話をしてゆく中で、

むむ。
この方は大層な人物だ。

むむ。
出来るごわすな。

「士は士を知る」が如く、お互い共鳴してゆきます。

わずか15歳で「啓発録」という書籍を著した大秀才の橋本左内。

実は、最初の頃、西郷は色白の秀才である橋本に対して、

頭は
良さそうだが・・・

国の方向性を決めるほどの
人物か?

と最初は、あまり高く評価しませんでした。

それは、西郷の方が6歳上(学年では7歳上)だったこともあるでしょう。

27歳の西郷から見て、21歳の橋本はまだ、

ただの若造では
ないか・・・

です。

ところが、橋本と話をして行く内に、

この人は
立派だ!

と認識を改め、6歳も歳下の橋本左内を非常に尊敬します。

おいどんは、
橋本どんを尊敬し申す!

西郷ほどの人物でも、「人を見る目」というのは難しいところがあります。

こうして、様々な人との邂逅が、西郷を磨き上げ、大きくしてゆきました。

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