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後藤新平 9〜官軍との戦い〜|威人紀行

前回は「後藤新平 8〜新政府軍との死闘〜」の話でした。

後藤 新平(Wikipedia)
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猛将・乾退助

明確な劣勢の中、苦戦しながらも戦い続ける奥羽列藩同盟。

官軍の増援部隊:迅衝隊の指揮官・隊長は、後の参議・板垣 退助でした。

板垣 退助(Wikipedia)

当時、乾退助率いる土佐藩士から成る迅衝隊は、非常に精強でした。

強力だったからこそ、戦線膠着する奥州に増援部隊として送り込まれてきたのです。

迅衝隊の板垣 退助(前列中央)(Wikipedia)

この写真を見るからに、強そうで怖そうな乾退助。

ワシは、自由民権運動で有名らしいが・・・

実は、優れた軍人だったのじゃ!

幕末の土佐藩

土佐藩上士出身だった、乾退助は、坂本龍馬・中岡慎太郎らと共に、土佐藩の倒幕派急先鋒でした。

坂本 龍馬(Wikipedia)

郷士として、土佐藩では身分が低かった坂本龍馬・中岡慎太郎は、奇兵隊のような軍隊を組織します。

坂本龍馬が海援隊を創設し、中岡慎太郎が陸援隊を創設します。

そして、家柄がよく、藩主・山内容堂に可愛がられた乾退助。

乾は土佐藩士、つまり正規軍を率います。

奇兵隊などの力も強力だが・・・

私は正規軍・土佐藩士を率いて、
倒幕の大きな力になったのだ!

官軍の一員として、土佐藩士を率いて、東海道を北上します。

板垣退助へ改名

そして、天領(幕府領)・甲斐を攻める際に、改名します。

武田 信玄(Wikipedia)

それは、乾家が、戦国時代の武田家の著名な家臣・板垣信方の遠縁であることから、(諸説あり)

「板垣」の方が、
甲斐の民衆に親しみがある!

と考えたからです。

「板垣退助」ならば、
新政府軍が甲斐を押さえやすいだろう。

乾退助は、「板垣退助」になりました。

今でも超有名人の戦国大名・武田信玄。

全国的に人気があり、特に山梨県では絶大な人気を誇ります。

江戸時代の頃、甲斐は天領(幕府領)でした。

藩がなかったために、「藩祖」がいないこともあり、武田信玄が神のような存在だったのです。

板垣退助って、政治家と思っていたけど・・・

若い頃は、結構強そうだわ。

ちょっと怖そうだね。

若き頃の板垣退助は、バリバリの武闘派だったのです。

倒幕戦の終盤の軍事指揮者は、長州の医師・大村益次郎(村田蔵六)でした。

大村 益次郎 陸軍大輔(Wikipedia)

戦争では指揮官が大事ですが、前線で突破する人物も非常に大事です。

「優れた・強き前線指揮官」を絵に描いたような人物こそ、若き板垣退助だったのでした。

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