前回は「社会の知識チェック問題 3〜しっかり暗記〜」でした。
今回は、少し細かい歴史上の人物です。
1の方は分からなくても大丈夫で、良かったらここで覚えましょう。
1.幕末の土佐出身の軍人。西南戦争の際には熊本鎮台司令長官として、西郷率いる熊本鎮台=熊本城を守り抜く。
後に政治家に転身し、農商務大臣等歴任。
2.西南戦争の際に1の人物を参謀として補佐し、薩軍からの熊本鎮台防衛に貢献。
台湾総督を経て、日露戦争の際には満州軍総参謀長として日本勝利に大きく尽力。

1は少し難しいですが、谷干城です。
読み方は「たに たてき」でも「たに かんじょう」でも良いです。

同じ土佐の乾退助(板垣退助)とともに、主に土佐藩士を率いて討幕に大きく貢献した非常に優秀な陸軍軍人です。

板垣同様に非常に「熱い男」で、新政府軍の方針に反感を持っていました。
しかし、西南戦争では反政府軍の西郷・薩軍に徹底的に抗戦します。
西郷ら「熊本鎮台(城)は我が薩摩なら比較的容易に抜ける・落城できる」と考えていました。
当時、日本最強だった超強力な薩軍から熊本鎮台を防衛したのは、谷の軍事能力の高さを示します。

2は児玉源太郎です。

熊本鎮台で准参謀として谷を補佐したのが児玉でした。
若い頃から非常に優秀で、将来を嘱望されていた児玉源太郎は長州藩の支藩:徳山藩出身です。
新政府側から非常に重視されており、薩軍に熊本鎮台が攻撃され、児玉が陸軍少佐として籠城しました。
「児玉に何かあっては、大変困る」と心配した政府幹部が「児玉少佐は無事か!」と現地へ、わざわざ問い合わせた逸話もあります。

その後、台湾総督を経て、日露戦争では満州軍総参謀長として、日本よりもかなり強大なロシア陸軍撃退を主導します。

この時、児玉は政府の中心人物の一人であり、前線の「満州軍総参謀長就任」は事実上の降格人事でした。
現実主義の児玉は「祖国日本の為であり降格であろうが、そんなことはどうでも良い」と考えます。
「むしろ総参謀長は、私でなければ、日本は敗北する」と自ら勇んで総参謀長を引き受け、前線に行きます。

当時のロシアは日本の5〜10倍の国力・兵力を持つ圧倒的大国でした。
児玉が知恵を振り絞って辛勝に持ち込み、日本海海戦での日本快勝を経て、米国の仲裁により日本勝利となります。
日露戦争で疲れ切った児玉は、日露戦争終戦翌年1906年に病気で亡くなりました。
日露戦争の当時、世界一の強国で、世界中に領土を持っていた英国。
日露戦争勝利は、開戦直前の1902年に英国と日英同盟を結んだことが、日本に極めて大きなメリットをもたらしました。
