前回は「論理的思考を育てる 3〜記述のコツ・練習〜」の話でした。
室町時代末期から戦国時代にかけて、日本の様々な地域において数多くの戦国大名が登場しました。
弘治・永禄・元亀・天正の時代は、群雄割拠して多くの大名たちが鎬を削って争いました。
中でも、下記の四名はそれぞれ広大な領土を有する戦国大名となりました。
・織田信長
・武田信玄(晴信)
・上杉謙信(長尾景虎・政虎・輝虎)
・毛利元就
これらの四名の戦国大名には、領土拡張の戦略において、それぞれ大きな特徴があります。
領土拡張戦略が、この中の一名が他の三名と大きく異なる点を考え、説明して下さい。
歴史は暗記科目?
歴史は、
暗記が多すぎて、大変・・・・
暗記ばっかりで、
全然楽しくない・・・
こう感じる方もいらっしゃるでしょう。
「年号・出来事・人物の暗記」科目と考えられがちな、社会の歴史。
暗記ばっかりで、
混乱するよ・・・
年号丸暗記だと、語呂合わせによる「強引な暗記」になる傾向があります。
「語呂合わせ」で覚えても良いですが、「単なる暗記」になると、
面白くない!
楽しくない!
楽しくないから、
勉強もはかどらない!
となりがちです。
「歴史は暗記科目」という考え方ではなく、「歴史は様々な人間模様」と考えましょう。
歴史を楽しく学ぶ姿勢
「単なる人と出来事の羅列」に過ぎないと考えられがちな、歴史。
今回、取り上げる戦国時代は、たかだか数十年の時代であり、受験におけるウエイトは高くありません。
戦国時代だけでなくて、
江戸時代・明治時代・・・
大変だよ!
今回は、戦国時代を取り上げて、論理的に考える姿勢と歴史を楽しく学ぶ姿勢を考えましょう。

桶狭間の戦いの前の織田家・織田信長の領土は、尾張の大部分で40万石程度と考えられます。
岐阜を目指す信長

この頃、織田のみならず、武田・上杉・毛利などの諸大名たちは、盛んに領土拡大を目論みました。
信長は、

美濃を
取るのだ!
奥方(妻)の濃姫の父である斎藤道三が、息子の義龍に殺された美濃。



義父・道三が
私に「美濃を譲る」と遺言した!
この「道三から信長への美濃譲状」に関しては、真偽は定かではありません。





稲葉山城を
攻撃だ!
尾張をほぼ統一した信長は、「次は美濃」と、斎藤氏の本拠地・稲葉山城を攻め立てます。
しかし、当時の斎藤家は織田家よりも強力で、美濃制圧まで7年ほどの長い時間がかかりました。
美濃へ拠点移動





稲葉山城を
陥落させ、我が城とした!



名前を
稲葉山城から岐阜城に改名する!



そして、私の
本拠地を清洲から岐阜へ移す!
ついに美濃を制圧し、岐阜城(稲葉山城)城主となった信長。
なんと、自らの拠点まで移動してしまいます。



本拠地を
移すだって???



?????



そんなこと、
考えたこともない!
この信玄・謙信・元就たち「考えもしなかった」本拠地移動。
領土が非常に広がったならば、「まだわかる」のですが、まだ「尾張と美濃」二カ国です。



新たな地から、
新たな視点で発展するのだ!
この「本拠地移動」こそが、信長の「他の大名たちと大きく異なる点」でした。
本拠地の移動・移転を続ける信長


尾張と美濃を制圧して、「大大名の仲間」となった信長。
とは言っても、当時は他にも多くの大大名がおり、群雄割拠の時代でした。



私の他にも大領土を
持つ大名がいるが・・・



私は、日本の中心である
近畿周辺を領しているのだ!
織田信長は「有力な大大名の一人」に過ぎなかったのです。


その後、当時の日本の中心であった畿内を中心に急速な勢力拡大を続ける信長。



次は
安土だ!
岐阜城(稲葉山城)へ移転した8年後には、安土城へ本拠地を移転します。
上の地図を見ると、ちょうど「織田家の版図(領土)の中央」に位置する安土城。



余が、織田家・日本の中心に
いるのだ!
信長には、このような考えがありました。
1576年に完成し、安土城へ移動した信長。
そもそも、安土城への移動・移転を本格的に指示したのは3年前の1573年です。



次は、余は
安土へ移る!



豪華絢爛たる
城を築城せよ!
ははっ!
長年の心知れたる家臣であり、重臣の丹羽長秀に築城の総指揮を任せます。


そして、当時世界最先端のヨーロッパ宣教師たちが、
ヨーロッパにも、
これほどの城はない・・・
というほどの当時「世界一」の可能性がある城を築いた信長。
幻の本拠地移動・移転
この安土城への本拠地移動・移転後に、武田氏を滅亡させた信長。
同年の1582年には「本能寺の変」が勃発しました。


そして、この世から突如消えてしまった、戦国の覇王・信長。
実は、最後の「本拠地移転」を考えていたと言われます。


最後は、一向一揆の本拠地であった、当時の大坂へ拠点を移す気持ちがあったと言われる信長。



大坂への移動で、
余の本拠地移転は完了!
このように信長が「考えていた」と言われます。
しかし、それを実現する前に、この世から消えてしまった信長。





私が、
信長様の遺志を継いで、大坂へ!
信長の遺志を継いだ(諸説あり)、秀吉が、大阪城に巨大城郭を建築しました。
信長の小さな本拠地移転
これほど、頻繁に本拠地移動を実行した大名は、当時存在しません。
本拠地移動は、非常に大変なことであり、



本拠地を
移す???



なんで???
信玄・謙信・元就たちは「考えもしなかった」ことでした。
実は、信長にはもう一つ「小さな本拠地移転」があります。
別の機会にご紹介します。