織田信長の「もう一つの本拠地移転」〜信長だけの「極めて異例」な特徴・敵の本拠地へ近づく戦略と美濃奪取・「小牧移転の理由」と信長の思考を想像〜|戦国大名の戦略5・中学受験・高校受験・大学受験

前回は「記述に強くなる考える力の上げ方〜「様々な人間模様」の歴史を楽しく学ぶ・早々に岐阜へ本拠地を移動した信長・本拠地の移動を続けた信長・幻の本拠地移動〜」の話でした。

目次

織田信長の「もう一つの本拠地移転」:信長だけの「極めて異例」な特徴

左上から時計回りに戦国大名 武田信玄、織田信長、毛利元就、上杉謙信(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

戦国時代の大大名と言えば、織田家・武田家・上杉家・毛利家などが挙げられます。

他にも北条家・大友家などがあり、これらの大大名がしのぎを削っていました。

その中でも、大きく頭一つ抜けたのが織田家でした。

美濃と尾張から
天下を目指す!

名前生年
毛利元就1497年
北条氏康1515年
今川義元1519年
武田信玄1521年
上杉謙信1530年
織田信長1534年
戦国武将大名の生年(新教育紀行)

桶狭間の戦いで一気に「メジャーデビュー」果たした織田信長。

この頃は、大勢の大名たちの中でも抜群に「若造」でありました。

織田信長
のう・・・

私が有力大名では
最年少だと思っていたが・・・

そして、天才的能力と若さで、どんどん時代を切り拓いてゆきました。

そして、織田信長率いる織田家には「他の家にはない極めて異例な」特徴がありました。

美濃を奪取したから、
清洲から岐阜へ本拠地移転!

しばらく、岐阜を本拠地として、上洛を果たして一気に「戦国の中心」に躍り出た信長。

次は、新たな城を気づいて
織田政権を樹立したい!

よしっ!
近江の琵琶湖ほとりに新たな城を築く!

安土城と
命名するのだ!

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織田信長の本拠地移転(新教育紀行)

領土を拡大する度に、「どんどん本拠地移転を繰り返す」という異例の発想を持っていました。

最後に「大坂に移転する発想を持っていた」と言われる信長。

この「信長の本拠地移転」には、実は「もう一つの移転」がありました。

敵の本拠地へ近づく戦略と美濃奪取

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織田信長の本拠地移転(新教育紀行)

その「もう一つの本拠地移転」を含めて、前回同様に1555年頃の信長から見てみましょう。

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織田信長の本拠地移転(新教育紀行)

桶狭間の合戦で、東の大大名・今川義元を叩き潰すことに成功した信長。

同年、美濃への侵攻を開始しました。

妻(濃姫・帰蝶)の親父の
道山殿の仇を討つのだ!

新教育紀行
戦国大名 斎藤道三(Wikipedia)

信長の義理の父である、斎藤道三は、息子(諸説あり)の斎藤義龍の謀反で討死していました。

我が美濃は、義理の息子の
信長に譲ろう!

と斎藤道三が「美濃譲状」を信長に託しました(諸説あり)。

行け!美濃を
攻め取るのだ!

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戦国大名 斎藤義龍(Wikipedia)

信長如きが、
この美濃を取れるか!

今川義元を討ったくらいで
調子に乗るな!

ところが、一角の武将であった斎藤義龍に率いられた美濃衆は強力でした。

全然、美濃侵攻が
進まない・・・

ここで、1561年に斎藤義龍が急死してしまいました。

まさか・・・
無念だ・・・

そして、「義龍不在」の美濃に攻め込む信長。

義龍さえいなければ、
美濃は俺のもの!

ところが、美濃は強国であり、攻める度に甚大な被害を受け続けた織田家。

何か良い方法は
ないか・・・・・

考えに考えた信長。

よしっ!本拠地を
美濃の稲葉山城に近づけるぞ!

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織田信長の本拠地移転(新教育紀行)

1563年に、尾張と美濃の国境に近い小牧山に新たな城を築いた信長。

これで、稲葉山城を
攻めやすくなったぞ!

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織田信長の本拠地移転(新教育紀行)

清洲城からの出撃よりも、小牧山城からの出撃の方が機動力が遥かに上がった織田家。

柴田勝家・佐久間信盛たち重臣に加え、この頃から出頭人となった羽柴秀吉らの力もあり、

ついに、美濃の本拠地・稲葉山城を
攻め落としたぞ!

これから、この地を
岐阜と命名する!

現代の「岐阜県」の「岐阜」は、織田信長によって命名されました。

「小牧移転の理由」と信長の思考を想像

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織田信長の本拠地移転(新教育紀行)

ここから先は前回ご説明した通りで、岐阜から天下を睨んだ信長。

この私が
天下を治めてみせる!

私は、この国で最高の
覇王だから「私」ではなく「余」だ!

織田家にとって宿敵であった武田家を1575年の長篠の戦いで破った翌年に、安土への移転を決めた信長。

余は
神なのだ!

さらに、「織田家にとって」というより「信長にとって」宿敵であった本願寺を、

うるさい本願寺を朝廷の力を
利用して、和睦に追い込む!

1580年に超強敵・本願寺と和睦して、事実上本願寺を倒した信長。

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織田信長の本拠地移転(新教育紀行)

もはやこれで
織田家の天下は定まった!

この頃、日本全国で1500〜1800万石ほどの領土があり、そのうち600〜700万石程度を領した織田家。

まだ他には、毛利・島津・北条などの有力大名が存在しましたが、

我が織田家のパワーは
他の家を圧倒している!

海外との交易の大部分を占め、当時の日本の中枢を握った織田家の商業力は抜群でした。

そのため、「他の家が束になってかかっても織田には勝てない」状況となりました。

最後は大坂に本拠地を
移して、海の近くへ!

海外を見据えていた信長は「大阪への本拠地移転を考えていた」と伝えられます。

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本能寺の変(Wikipedia)

ところが、その「信長の夢」が叶うことはありませんでした。

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織田信長の本拠地移転(新教育紀行)

49年(数え年)で3度の本拠地移転を実行し、もうすぐ「4度目」をする寸前だった信長。

もともと、尾張に生まれた信長は、信玄・謙信・元就たちよりも「恵まれていた」のは間違いないでしょう。

とは言っても、当時の日本の中心・京=山城の周囲の国はたくさんありました。

この中、

余が天下を統一して
世界へ!

という信長の気持ち・思考が如実に表現されているかのような、上の信長の本拠地移転。

まさに、戦国時代に「織田信長だけが持っていた思考」と言えるでしょう。

これら本拠地移転の中で、やや知名度が劣り、規模が小さな「小牧移転」の理由。

それは「敵(斎藤家)の本拠地へ近づく」が最大の理由ですが、それ以外にもありそうです。

この「小牧移転の理由」は、歴史家の中でも諸説あります。

この中、「信長になったつもり」で考えてみるのも良いでしょう。

「正しい答え」以外に「自分で考える姿勢」は、本質的な学びにつながるでしょう。

「正しいかどうか」は別として、こういう「気づいたことを考える姿勢」は大事と考えます。

少し自由に考えてみましょう。

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