前回は「来年の中学受験へ〜麻布中学の入試問題から〜」の話でした。
イメージすることの大事さ
算数でも理科でも社会でも、イメージすることが大切です。
イメージする、
って難しい・・・
何か
想像力が必要なのかしら?
歴史の話をご紹介する際、人物に吹き出しで説明しています。
様々な「考えていたこと」「言ったであろうこと」を想像して、ご紹介しています。

例えば、大久保や木戸が廃藩置県を考えていた頃、

お金の種類が多いと、分からなくなってしまう。
管理するのが大変すぎる。



徳川幕府は、
どうやって管理していたんだ?



というか、管理できないで、
「市場原理に任せていた」だけではないのか?



シンプルにしないと、
近代国家にならない!



政治・行政からお金などの
経済システムに至るまでシンプルに!



全て「新政府直轄の管理」に
しなければ!



藩は全て無くして、全ては政府直轄の中央集権化。
これを断行する!
という感じです。
これは「僕の解釈」であり、歴史的事実との整合性は「ある程度ある」でしょう。
一方で「誰が何を言ったのか?」「誰が何を考えていたのか?」は必ずしも確実ではありません。
「記録に残っている」こともありますが、その記録が「どこまで正しいか」は不透明な部分があります。
また、「誰が何を言ったのか?」はオフレコである場合も多く、記録に残りにくいケースもあります。
その中で、上記のように、「誰が何を言ったのか?」を想像して楽しんでみましょう。
歴史の事実とイメージ:一次資料と二次資料
歴史は、「ある程度の事実」があります。
一方で、その背景・真実は「分からない」や「真相は闇」ということも多いです。
「誰が何を言ったか・考えていたのか」は、記録に残っていること・ないこと、様々です。
少し専門的な話になりますが、歴史家・歴史の専門家の方は、資料を信用性によって分類します。
例えば、ある出来事を資料から読み解く時に、「一次資料と二次資料」に分類します。
一次資料:ある出来事と同時代、少し後に作成され、当事者・事情をよく知っている者が作成した文書・絵巻物等。
二次資料:ある出来事から大分後に作成され、事情をどこまで知っているか不明な人物が作成した文書・絵巻物等。
場合によっては、「二次資料よりも信頼性が劣る」三次資料もあるでしょう。
いずれにしても、「歴史的事実は一次資料による」のが学術会では基本姿勢となっています。


例えば、織田信長の人生を描いた「信長公記」(太田牛一・著)があります。
「信長公記」は、信長の家臣であった太田牛一が書いた資料です。
この内容は、「信長と同時代に近くにいた人物」しか知り得ない・書き得ないことが多数記載されています。


そこで、「信長公記」は信用性が非常に高く、一次資料として扱われます。
織田信長を研究する際には、この「信長公記」が基礎になります。
織田信長の時代は450年ほど前なので、「貴重な資料が少ない」のは仕方ないことです。
先ほどの、廃藩置県は戦国時代よりも「遥かに近い過去」なので、良質な資料がたくさんあります。
実際に、大久保利通・木戸孝允は、詳細な日記を残しています。
それらの日記を、一次資料として読み解くことが出来ます。
正確な歴史・正しい歴史とは何か?
こうした一次資料をもとに、歴史は構成されてゆきます。
資料から「正確な歴史・正しい歴史」を緻密に分析して、「日本の歴史」「世界の歴史」が作られます。
日本の歴史は、世界の歴史と密接につながりがあるので、
本来は、「日本史」と「世界史」を
分けるべきではない。
という意見もあり、僕も同感です。
小学校〜高校の教育・受験において、「日本史」「世界史」は別なので、この分類を前提として考えます。
非常に信頼性の高い一次資料。
ところが、これら一次資料の中でも注意すべき点があると思います。
例えば、大久保利通の日記。


大久保はこの日記の中で、かなり正直に「自らの考え・思い」を吐露しています。
ここに描かれていることは、「明治新政府の中心人物・大久保だから知り得ること」も多いでしょう。
一方で、それらの事実は「大久保の視点で描かれている」ことになります。
まして、大久保は「かなり極端な思考性」の人物です。
「大久保の考え」あるいは「大久保の視点」によって、多少なりとも実像は歪められます。
つまり、「大久保利通の視点というフィルターを通して」考えた「事実」となります。
すると、「本当の事実は何か?」に対しては、「一次資料に依拠している」場合でも「諸説ある」ことも多いのです。
学習まんがとイメージ
学習まんがでは、これらを著者・編集者が「解釈して描いている」のです。
まんがで「誰が何を言ったか」を、楽しみながら読んでみましょう。
西郷隆盛が
〜と言っている・・・
勝海舟が
〜と言っているけど・・・
そうすると、それぞれの個性がなんとなく分かってきて、楽しくなるでしょう。


理科でも算数でも、「自分なりに」考えてみて、それを楽しみながら勉強してみましょう。
するとと、楽しくなって学力が上がるでしょう。
「自分なり」は自由です。
自分なりに考えるのは、
ちょっと大変だよ・・・
その時は、学習まんが・参考書でも「書いてあること」を参考にしましょう。
そして、イメージを膨らましてみながら、学んでみるをやってみましょう。
そういう姿勢ができることは、非常に良いことです。
楽しく学びながら、少しずつ・着実に学力上がるのを実感してみましょう。