親の子どもへの良い接し方〜「すでに頑張っている」子ども・親の思いと子どもの思い・子どもを「肯定する」大事さ・「よく出来ているね!」と褒める・成功者たちの発想・「出来る」ように考える〜|親の姿勢2・子どもの教育・中学受験

前回は「「自信を持てない」から「自信を持てる」へ〜「すでに頑張っている」子どもたち・頑張った先にあること・何をどう頑張れば良いのか?・時には「よく出来ているね」と褒める大事さ〜」の話でした。

目次

親の子どもへの良い接し方:「すでに頑張っている」子ども

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親は子どもが色々な活動をしていると、微笑ましい気持ちになります。

ところが、その微笑ましい気持ちも束の間で、大抵の子どもは「親の意に反する」行為をします。

家の中で楽しそうに兄弟で遊んでいるのを見ていると、弟を泣かせたりすることもあります。

あるいは、週末に学校の宿題など勉強を教えていると、

これは、
こう考えて、こうでしょ。

うん。
そうかも・・・

漢字などは「練習する」しかないのですが、算数は考え方を教えて、

これはね、
こう図を描いて・・・

最初は分からないことがあっても良いから、
丁寧に考えてみて。

うん。
分かった。

と大人しく勉強していると思ったら、少し目を離すと遊んでいたりすることも、しばしばです。

なぜ、勉強していたのに、
遊んでいるの?

親としては、

なぜ、こういうことに
なるんだろう?

子どもに対しては、こう思うことの連続です。

あるいは、何かをしている子どもに対して、

もう少し
しっかりやって欲しい!

と思うのは、親であれば誰しも感じることでしょう。

頑張れ!

も、時には良いかと思います。

学校のテストや成績、あるいは中学受験生の子どもの試験の成績に対して、

もっともっと
頑張れ!

親は、こう言いたくなります。

ところが、

僕、
頑張っているんだけど・・・

「言うことを聞かない」とは違って、学校・塾のテストなどに対しては、

頑張っているんだけど、
出来ないんだよ・・・

大抵の子どもは「すでに頑張っている」のです。

「すでに頑張っている」のに、

もっともっと
頑張れ!

もっともっと
やってみるんだ!

と言われることは、子どもにとっては「否定されている」ことにつながる可能性が高いです。

「否定される」ことは、誰しも嫌なことです。

一方で、やはり誰しも「肯定されたい」ものです。

子どもは「否定する」のではなく、もっと良い方向へ行くようにしたいです。

親の思いと子どもの思い

空と雲(新教育紀行)

やってはいけないことをしたら、きちんと叱るのが良いと思います。

「ある程度は頑張っている」形跡のある子どもに対しては、親も

頑張ってはいるけど、
もう少し・・・

その「頑張り」は気づいていてもなお、

もっと
出来るんじゃないか・・・

と感じてしまうのです。

例えば、中学受験生が取り組む難しい算数や理科の問題を見れば、大人は、

いや、これは、
ちょっと難しいでしょう・・・

と感じることが多いですが、小学校高学年までの学校のテストなどは、

なぜ、
これが分からないんだ?

「自分の視点」で考えてしまい、出来ていないところを見て、

もっと頑張って
勉強しなさい!

と、ついつい「言いたくなってしまう」気持ちになります。

ここで大事なことがあります。

それは、「子どもは子どもであり、大人の自分とは別」であることを認識することでしょう。

まだまだ「勉強の途中」である子どもは、「出来ないことがあって当然」でしょう。

むしろ「出来ないことがない」方が異常なのでしょう。

普通の中学生にとっては、「微分積分が出来る高校生」に対して、

微分・積分とかいって、
何だかすごそうだぞ!

この、ニョロみたいな
記号は何?

積分記号も知らない中学生にとって、「微分積分が出来る高校生」は「偉大な存在」です。

ところが、普通に高校に進むと、微分積分は「大したことがない」ことが分かります。

このように「3学年違う」だけで、「学びのレベルに隔絶した差」がある子どもたち。

小学生に対して、大人が「自分の視点で考える」のは、次元が違うほど異なるのでしょう。

子どもと大人の視点

・「子どもは子どもであり、大人の自分とは別」を認識

・「勉強の途中」である子どもは、「出来ないことがあって当然」と考える

・大人の視点ではなく、「自分が子どもの年齢だったら」と子どもの視点で対応

子どもを「肯定する」大事さ:「よく出来ているね!」と褒める

新教育紀行
種子島の海(新教育紀行)

先ほどの例の「学年が違うこと」による「学びのレベルの違い」は、小学生には認識しにくいことです。

小学校では、「上の学年」の方と具体的に接する機会が少ないのが現実でしょう。

部活・委員会などで、「1学年上・下」の方と話したりすることがあります。

ところが、中高生のように、「勉強の話」を「1学年上・下」の方とする小学生は少ないでしょう。

この意味では、特に小学生の子どもたちは「同級生の視点」で考えます。

そして、小学校3年生くらいまでは、「似た感じだった同級生」たち。

それが、小学校4年生くらいから大きく変わります。

小学校4年生くらいになると、算数・理科などの科目、体育・図工などで、明確な差が出てきます。

この中で、

私は算数・理科が
得意!

とか、

僕は、科目は平均的だけど、
体育で走るなら学年一だ!

みたいに、「卓越した部分がある」子どもは良いかもしれません。

一方で、「卓越した部分がある」子は、多くはないのが現実でしょう。

本来は「それぞれの個性」を重視して育てるのが、小学校などでは望まれます。

ところが、算数・理科などの科目も、試験・成績という数字に変換されます。

そして、体育・図工なども成績によって「能力決定」されます。

その中、

もっと算数が
出来るようになりたいな・・・

子どもたちは、子どもたちなりに「競争心を持って、頑張っている」状況にあります。

そこで、子どもの良いところを見つけてあげて、

最近、頑張って
いるね!

これは
とても良いね!

と褒めてあげましょう。

この、ここの部分は
よく出来ているよ

この絵は、
とても上手く描けているね。

というのも良いでしょう。

その上で、テストなどの「出来ていないところ」に対しては、

ちょっとここは、
もう少しやってみよう。

これが出来たら、
これも出来ると思うから、やってみようね。

と話すのが良いと思います。

なんでも、ネガティブよりはポジティブな発想の方が良いでしょう。

成功者たちの発想:「出来る」ように考える

左上から時計回りにイチロー選手、発明家エジソン、孫正義ソフトバンク社長、リンカーン第十六代米国大統領(Wikipedia、ソフトバンク)

これは
出来ない・・・

これは自分にとっては、難しいから
ダメかも・・・

と思っていて、

やったら、
たまたま上手くいってしまった・・・

ということもあるかもしれません。

実際には、そういうケースは少ないでしょう。

成功者の自叙伝などで、

たまたま
上手く行った・・・

とか

無理かと思ったが、
なんとか突破した!

など表現されていることがあります。

これらは、少し「脚色している」と考えるのが妥当でしょう。

その方がストーリーとして、面白いからです。

万全の準備をしていたから、
その通り、上手くいった!

では、ストーリーとしては「面白みに欠ける」面があります。

本当は成功者たちは、出来るだけの努力をして、

出来るように
一生懸命やった!

のが多くの場合の「現実」なのです。

ソフトバンクを起業した日本有数、というより世界有数の孫正義氏。

最初にあったのは、
夢と根拠のない自信だけ。

そこから、
全てが始まった!

若い頃から、自信を持っていて高校生の時に米国に渡った孫正義。

起業まもない頃、

豆腐を一丁、二丁と
切るように・・・

売上も一兆、二兆と
なってゆくようにするんだ!

これを聞いた従業員たちは、

そんなこと、
出来るわけないだろ・・・

と感じた方もいて、

ちょっと
ついていけないかな・・・

と辞めた方も出たようです。

ところが、本当に「売上一兆円」という目標を突破しました。

だから、「出来る」と
言っただろう!

まずは「出来る!」と
思わないと始まらない!

そして、さらに増加し続けているソフトバンクグループ。

「良いところ」「出来ているところ」は、きちんと褒めてあげる。

そして、

「出来てなかったところ」を
やってみよう!

と、子どもに話してみましょう。

きっと、言われた子どももポジティブな気持ちで、

やってみよう!

もう一度
トライしてみよう!

という気持ちになるでしょう。

成功者たちの、

出来るように
準備した・・・

と同じように、小学校の勉強、あるいは中学受験・高校受験・大学受験においても、

合格できるように
準備した!

という状況になるのが、最も望ましいです。

その「合格できるような準備」は、それぞれの子どもの個性・成績によるでしょう。

どうしても、「合格できるような準備」=「成績」「偏差値」となりがちです。

それも一つの側面ですが、精神的に安定して、少しずつ学力が上げてゆくのが最も大事です。

「精神的安定による成績アップ」=「合格できるような準備」となるようにしましょう。

新教育紀行

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