前回は「子供と一緒に早起きしてみましょう 1」の話でした。
今回は、お子様の個性を大事にして育む話です。
親ならば誰しも、自分の子供には「持って生まれた個性を大事に、自分らしく生きて欲しい」と考えると思います。
それぞれの国で生まれて、成長してゆく中で「社会で生きてゆくために基本的な姿勢・素養・学力」を身につけます。
そのために、義務教育があります。
日本においては、それが「小学校6年+中学校3年=9年」となります。
文科省調査で、2020年度の大学進学率54.4%ですから、半分以上が大学に行く時代です。
うちの子を、
どのように育てよう。
と考える親が多いと思います。
興味深い記事がありました。

天才ドラマー「よよかさん」の話です。
非常に優れたドラマーの才能を持つ相馬よよかさん。
「答えが最初から決まっている教育をする」日本を離れる決意をし、ご家族4名で米国へ移住する決断をした話です。
詳しくは本記事をご覧ください。

この記事では「日本の教育の本質的な問題点」が数多く指摘されています。
あるいは「色を自由に塗れる」米国に対して「100点を求める」日本という対比で紹介されています。
移民族国家である米国と、単一ではないものの「ある一定数の民族にほぼ限られる」日本。
双方の「多様性が全く異なる」のは当然です。
教育においても「多様性を求める」姿勢の米国のほうが「優れた教育」であることは論を待たないでしょう。
ドラムを叩いたことのない僕には、ドラマーのよよかさんの思いはよく分かりません。
「多種多様な事」が認められる米国に対して、「個性を求めない」日本という気持ちは、とても共感できます。
教育においては、「ある一定の枠組み」は教えられるべきです。
持って生まれたそれぞれの子供の個性を活かすことが重要です。
このことは、僕が中高生だった30年ほど前から言われていたと思います。
当時は、まだ日本が世界において相応の立場だった時代でしたので、
日本は、これでいいんだ。
「変化しない」役所的思考で文科省は、そのまま突き進んだと思います。
そう思っていたら、突然「ゆとり教育」となって「円周率は3」みたいな極端な話になりました。
それもまた「行き過ぎ」となって振り子のように戻りました。
教育において最も大事なことは「学ぶ内容」ではなく「学ぶ姿勢」であることに、文科省の方々は気づいていないのです。
だから「内容」ばかり議論になり、教育の本質から遠く離れた話になります。
試験内容も「共通テストに記述式を」みたいな見当違いな話を延々と協議して、結局中止になります。
特に小学生〜中学生のお子様には「自由に考える」事と「持っている個性」を大事にして欲しいと思います。
そして、絵でも図でも、大きく描いてもらって「好きに描いてみる」ことを子供にやって欲しいと思います。