山川捨松 11~優れた兄たち〜|戊辰戦争

前回は「山川捨松 10~長州征討と会津〜」の話でした。

山川(大山)捨松(Wikipedia)
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年の離れた優れた兄・山川浩

山川捨松の話ですが、幕末の話が長く、少し遠回りにお感じの方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、この幕末の話をしなければ、山川捨松の人生は理解しにくいのです。

のちに米国留学する山川捨松の山川家は、会津松平藩の名家でした。

そして、その名家の名に恥じず、優れた人物を輩出しています。

山川浩 陸軍少将(Wikipedia)

捨松には年の離れた長男 山川浩がいます。

1845年生まれの浩は、捨松の15歳年上です。

のちに、明治政府の陸軍少将となり、優れた軍人となる浩。

会津藩士 山川浩(Wikipedia)

幕末の頃は会津藩士であり、捨松の生まれた1860年に山川家を継いで、山川大蔵を名乗ります。

爽やかな青年であり、非常に優秀だった山川大蔵(浩)。

会津藩主 松平 容保(Wikipedia)

藩主 松平容保の覚えもめでたく、会津藩の中心人物の一人になってゆきます。

山川大蔵は、
我が会津の要だ!

大蔵、頼むぞ。

ははっ!

そして、幕府の遣露使節団の一員としてフランス・プロシア(ドイツ)・ロシアなどを見聞します。

戊辰戦争・会津戦争を戦い、会津籠城戦の総指揮を執りました。

もう一人の優れた兄・健二郎

捨松には、もう一人優れた兄がいます。

三男の健二郎です。

1854年生まれの健二郎は、捨松の6歳上です。

東大総長 山川健次郎(Wikipedia)

若い頃から非常に優秀だった山川健次郎。

のちに、米国へ留学してイエール大学を卒業後、東京帝国大学(東大)教授・総長を務めます。

山川健次郎は東大総長後に、旧制武蔵高校の校長を務めました。

大抵の武蔵中高生およびOBは山川のことを知っており、健二郎を顕彰した「山川賞」があります。

アカデミックな雰囲気のある武蔵中高の源泉の一つが、山川健次郎 武蔵高校校長の存在です。

武蔵中志望の方は、ぜひ知っておいてください。

会津と距離を取る薩摩

この優れた兄たちのいる山川家。

平穏な人生であれば、安泰の日々が続くはずでした。

会津と協調路線を取っていた薩摩。

この頃に薩摩を率いていた西郷が、俄に会津と距離をとり始めます。

薩摩藩士 西郷 隆盛(国立国会図書館)

徳川幕府では、
ダメだ。

新たな体制を作らねば。

会津とは
手を切る!

薩摩藩の露骨な姿勢に対し、会津藩は揺さぶられ、憤ります。

容保様と一緒に
京にいる大蔵兄さん・・・

大丈夫かしら。

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