アカデミックな武蔵中高の源泉〜山川捨松の優れた兄たち・もう一人の優れた兄健次郎・年の離れた優れた兄山川浩・討幕へ向かう薩摩・西郷隆盛と大久保利通の狙い〜|山川捨松11・人物像・エピソード

前回は「高杉晋作不在の長州藩vs勇躍した徳川慶喜〜第一次長州征討〜第一次長州征討・憎き薩賊会奸・西郷隆盛の深謀・仇敵薩摩と長州を結んだ坂本龍馬の登場〜」の話でした。

山川(大山)捨松(Wikipedia)
目次

山川捨松の優れた兄たち:年の離れた優れた兄・山川浩

山川浩 陸軍少将(Wikipedia)

山川捨松の幼少の頃の話をご紹介しています。

ちょうど幕末維新の時代を過ごした、幼い山川捨松(咲子)。

1860年に生まれた山川捨松(咲子)は、1868年に8歳の時に明治維新という大革命を体験しました。

8歳というのは、とても幼いですが、物心ついて何となくいろいろなことを覚えているものです。

なんだか
世界がだいぶ変わったね・・・

そこで、幕末維新の話を歴史の学びも含めてご紹介しています。

肝心の山川捨松(咲子)自身の話が少ないので、少し遠回りに感じる方もいらっしゃるかもしれません。

ところが、この幕末の話をしなければ、山川捨松の人生は理解しにくいのです。

世界では明治維新のような変革期には大量の戦い・争いが起こり、多数の死者が出ます。

その世界の革命と比較すれば、かなり穏便・穏当であった明治維新。

世界の歴史と
比較すれば・・・

明治維新は
「無血革命」と言える!

という声もありますが、筆者は「明治維新は無血革命ではない」と考えます。

歴史の勉強では、

幕末に薩摩と長州が
薩長同盟を結んで、徳川幕府討幕に動きました。

鳥羽伏見の戦いは、あっという間に
薩長が勝ち、そのまま薩長主軸の軍は官軍となり・・・

東に東に攻め込んで行って、江戸城を攻撃に
向かい、最終的に西郷隆盛と勝海舟が会談・・・

大英雄の二人がしっかり話し合って、
江戸城総攻撃を防ぎ、徳川幕府は倒れました。

こんな感じで「サラッと表現・描写」されることが多いです。

ところが、250年以上続いた時代が「サラッと終わる」はずがありません。

新教育紀行
上野戦争:新政府軍と彰義隊の激闘(歴史道vol.15 朝日新聞出版)

明治維新の実像の一部をご紹介しながら、幼き山川捨松(咲子)の人生を考えてみます。

のちに米国留学する山川捨松の山川家は、会津松平藩の名家でした。

私のお家は由緒正しき家柄で、
私も頑張る!

そして、その名家の名に恥じず、山川家は優れた人物を輩出しています。

会津藩士 山川大蔵(浩)(Wikipedia)

捨松には年の離れた長男・山川浩がいます。

山川家の
長男・浩だ!

1845年生まれの浩は、捨松の15歳年上です。

のちに、明治政府の陸軍少将となり、優れた軍人となる浩。

幕末の頃は会津藩士であり、捨松の生まれた1860年に山川家を継いで、山川大蔵を名乗っていました。

爽やかな青年であり、とても優秀だった山川大蔵(浩)。

会津藩主 松平 容保(Wikipedia)

藩主 松平容保の覚えもめでたく、会津藩の中心人物の一人になってゆきます。

山川大蔵は、
我が会津の要だ!

大蔵、
頼むぞ!

ははっ!
お任せを!

そして、幕府の遣露使節団の一員としてフランス・プロシア(ドイツ)・ロシアなどを見聞します。

戊辰戦争・会津戦争を戦い、会津籠城戦の総指揮を執りました。

もう一人の優れた兄・健次郎:アカデミックな武蔵中高の源泉

東大総長 山川健次郎(Wikipedia)

捨松にはもう一人優れた兄、三男の健次郎がいました。

山川家三男の
健次郎です!

1854年生まれの健次郎は、捨松の6歳上です。

若い頃から非常に優秀だった山川健次郎。

私は小さい頃から、
勉強が好きだった!

後に米国へ留学してイエール大学を卒業後、東京帝国大学(東大)教授・総長を務めます。

東大を
改革したい!

山川健次郎は東大総長後に、旧制武蔵高校の校長を務めました。

武蔵高校の
校長・山川健次郎です!

戦前と戦後で学校制度が変わるので「旧制」がつきますが、武蔵中学・高校です。

大抵の武蔵中高生およびOBは山川のことを知っており、健次郎を顕彰した「山川賞」があります。

アカデミックな雰囲気のある武蔵中高の源泉の一つが、山川健次郎 武蔵高校校長の存在です。

東大合格者数が激減し「凋落した」と言われる武蔵中高。

ペーパーテスト対策とは対極的な学びを推進し続け「我が道をゆく」姿勢を堅持しています。

この「日本の受験界から大きくズレた教育」は、アカデミックな面を多分に含んでいます。

武蔵中高の「我が道をゆく」
アカデミックな雰囲気の源泉の一つが私・健次郎です!

武蔵中志望の方は、
私・山川健次郎をぜひ知っておいてください。

1990年に武蔵中学に入学した筆者は、山川健次郎のことを入学後に知りました。

武蔵中高在学生の方、これから武蔵中を志望する方は、山川のことをぜひ知って欲しいです。

討幕へ向かう薩摩:西郷隆盛と大久保利通の狙い

薩摩藩士 西郷 隆盛(国立国会図書館)

この優れた兄たちのいる山川家。

平穏な人生であれば、安泰の日々が続くはずでした。

会津と協調路線を取っていた薩摩は、当初「佐幕=幕府側」の立場でした。

この頃に薩摩を率いていた西郷隆盛。

おいどんが、
薩摩軍の采配取るごわす!

その西郷が、俄に会津と距離をとり始めます。

どうも
これは・・・

徳川幕府では、
ダメだ・・・

新たな体制を
作らねば!

会津とは
手を切る!

なあ、
一蔵どん!

薩摩藩士 大久保利通(国立国会図書館)

吉之助さぁ!
確かに、徳川の世が続き過ぎた!

新しい世を作る能力がある
大名は、この薩摩のみ!

77万石有する薩摩藩は巨大な藩でしたが、徳川幕府400万石の遥かに格下でした。

一方で、薩摩藩士たちは日本最強であり、密貿易を推進する薩摩は「巨大すぎる存在」でした。

どうやら、
薩摩が徳川に反抗するつもりです・・・

薩摩藩の露骨な姿勢に対し、会津藩は揺さぶられ、憤ります。

禁門の変(Wikipedia)

「ちょっと昔」の禁門の変の時は、一緒に手を取り合って朝敵・長州を撃退した薩摩。

薩摩が
徳川に歯向かう?

なぜ、だ・・・
なぜ、なのだ・・・

なぜ、薩摩は
反徳川になるのだ・・・

「事実上仲間」であり「共に徳川のため」に組んでいたはずの薩摩。

ところが、にわかに薩摩藩の行動がおかしな感じになってきました。

容保様と一緒に
京にいる大蔵兄さん・・・

大丈夫なの
かしら・・・

この頃、物心がついてきた小さな山川咲子は不安な日々を送っていたでしょう。

そして、その不安は「信じられない地獄」となって現実のものとなってしまいました。

次回は上記リンクです。

新教育紀行

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