前回は「山川捨松 9~公武合体と会津〜」の話でした。

第一次長州征討


諸大名を大動員だ!
「衰えた」とは言え、日本政府である徳川幕府。
まだまだ健在です。
公武合体を推進していた徳川幕府と朝廷。
手を取り合って、時代を切り拓こうとします。





長州を討て。



ははっ!
御所を攻め込まれて、怒り心頭の孝明天皇は、徳川幕府に長州征討の勅命を出します。
事実上、朝敵となった長州。
徳川幕府は35藩に動員令を出し、15万人を長州へ向かわせます。


奇兵隊を組織するも、実権は持っていなかった長州は若手ホープの高杉晋作。





長州を叩け!
1864年の長州征討では、
申し訳ありません・・・
長州は、事実上降伏しました。
そして、禁門の変に関わった「三家老らの切腹」などの条件を呑みます。
薩摩と会津
禁門の変で手を取り合って、協力した薩摩と会津。


徳川慶喜同様、「薩摩ファースト」の考えだった西郷隆盛。
とりあえず、徳川幕府・会津と仲良くしてゆきます。
禁門の変で敗れ、第一次長州征討でコテンパンにされた長州は、
薩賊会奸は、
絶対に許さん!
を合言葉に、捲土重来を期します。
「薩摩が賊で、会津が奸物である」意味で、「薩賊会奸」です。
しかし、



どうも、徳川幕府のやり方は、
良くない・・・



そもそも、世襲で将軍が
トップになるのは、時代遅れでは・・・



薩摩中心の政治体制の方が、
良いのでは・・・
少しずつ徳川幕府と距離を取ります。
薩摩と長州
薩摩はじめ、諸侯がさまざまな思惑で動く中、長州は弱体化してゆきます。
ここで、



長州に止めをさせ!
と徳川幕府は躍起になります。



今しかない!
この中、歴史に飛び込んできた若者がいました。


元土佐藩士にして、今は脱藩の浪人だった坂本龍馬です。


当時、軍艦奉行並といういわば「海軍大臣代理」の役にあった勝海舟とも親しい坂本龍馬。



薩摩と長州が、
手を組めばいいぜよ。





さっ、薩摩!
この頃の長州藩士にとって、薩摩は悪魔のような存在です。



薩摩と
手を組むだと!



あいつらは、
憎き薩賊会奸!



薩摩が、
我が長州藩に何をしたか・・・



あなたは
知っているだろう!



気持ちは分かるぜよ。



でも、このままでは、
長州は本当に破滅ぜよ。



・・・・・



確かに・・・
理屈では状況を理解できるものの、感情が邪魔をする桂(木戸)でした。



慶喜さんも、あまり波風立てない方が
良いのではないかしら・・・