御三家の話 3|中学受験

前回は「御三家の話 2|中学受験」の話でした。

「定義・基準が曖昧」ながら、特に中学受験界に浸透している「御三家」という言葉。

現在の「御三家」が、「1960年代末に浸透した」ならば、半世紀過ぎました。

昭和・平成・令和となった今、変わっても良いように感じます。

「変わる」ならば、真っ先に消される立場の武蔵中学・高校。

その武蔵の卒業生の僕は、武蔵に対しては特別な思いがあります。

別に「御三家」と、
呼んでもらわなくて良い。

というスタンスが、かつての武蔵にはありました。

それは、堅調な大学進学実績に支えられていたのです。

東大などの大学への大学進学実績が急落した今、「そんなことは言っていられない」のが現実です。

「中学・高校の良さ」に「大学進学実績」が、どの程度関係するかは、様々な意見があります。

僕は、中高の教育は「大学受験突破のプロセスではない」と考えますが、「大学受験と無関係」でもないです。

現実的な問題として、もし「御三家のグループ」から武蔵が「公式に外された」とき。

その時、武蔵中・高の「学校としての格」は、大きくダウンするでしょう。

「格が大きくダウン」するのは、企業の株価と同様に、学校の名声に大きく関わります。

卒業生として、その事態となることは「残念」です。

しかし、「基準が大学進学実績」ならば、致し方ないでしょう。

「中高の良さ」には、「卒業生の質・レベル」も大きく影響します。

この「卒業生の質」においては、かつて武蔵は非常に高い自負がありました。

宮澤 喜一元総理大臣(Wikipedia)

実は、男子御三家で最初に総理大臣を輩出したのは、武蔵です。

宮沢喜一氏が首相に就任した時、僕は武蔵に通っていました。

その時は、

御三家で、
武蔵が最初に総理になった!

と盛り上がっていました。

これは、御三家に関わる方以外にとっては、「どうでも良いこと」かも知れません。

まだ日本の景気が良く、日本全体が元気だった当時、御三家内ではライバル意識がありました。

「一つのグループ」に、まとめられているからこその「対抗意識」。

それは、健全な青少年ならば持つべきもので、対抗意識は大事と思います。

次回は、御三家で次に首相となった方の話です。

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