武蔵中学・武蔵高校凋落の理由と原因〜東大合格者数激減・トレーニングしない学び・校内模試がなかった武蔵・試験が少ない環境と大学受験〜|中学受験と大学受験

前回は「算数・理科の記述問題の採点者の姿勢2〜武蔵中学の記述問題やレポートへの教員の姿勢・武蔵カラーと採点基準・答えが違う記述問題の採点結果・「計算ミスで全滅」のゆくえ・中学入試の記述問題の採点基準・教員たちの日常と受験生たちの非日常〜」の話でした。

目次

東大合格者数激減

新教育紀行
武蔵中学・高校のかつての校舎(新教育紀行)

今回は、武蔵中学・武蔵高校が凋落した理由と原因を、武蔵卒業生の立場から考えてみます。

この話を考える過程で、中学受験と大学受験に関する話、中学・高校での学びの話も含みます。

この「武蔵凋落」の話は、雑誌やネット上で様々論じられていることです。

そのため、「今更感」があるかもしれません。

様々なジャーナリストの方たちが綿密に取材を重ね、校長などへのインタビュー含めた記事があります。

それらの中には、「ある程度当たっている」話もありますが、大抵は表面的でしょう。

今回は、武蔵凋落を「全盛期の武蔵中高に通っていた」筆者が考えてみます。

そもそも「武蔵凋落」の原因は何か、というと極めて単純な話であり「東大合格者激減」です。

中学高校の生活は「大学受験の前座」ではありませんが、大学受験とは密接に関係します。

その中で「大学進学実績」は重要な指標であり、中でも東大合格者数は絶大な影響力を持っています。

新教育紀行
東京大学(Wikipedia)

つまり、「東大合格者数が多い」=「優れた生徒が多い」という価値観です。

その中、「東大合格者数が激減した武蔵」=「優れた生徒が激減した武蔵」という構図が成立しました。

すると、「かつては東大合格者数が多く、名門だった武蔵は凋落しダメになった」となりました。

僕が武蔵中学に入学したのは1990年で、まさにバブル真っ只中でした。

現代から考えると「1990年にバブル景気が終わる」のですが、当時は「進行中」でした。

東大合格者数(人)
198877
198963
199065
199170
199285
199347
199458
199557
199666
199758
199844
199964
200045
200145
200237
200349
200426
200534
武蔵高校の東大合格者数

武蔵高校の1988年から2005年の東大合格者数をまとめました。

僕が入学した頃は武蔵中学は140名程度で、高校入試で30名ほど入学し、武蔵高校卒業生が170名程度でした。

現在は高校入試廃止により、中学入試で160名募集となっています。

結構バラツキが大きいですが、「概ね60~65名程度が東大」=「卒業生の3人に1人以上が東大」です。

バリバリだった頃の1992年に85名の合格者を出した翌1993年は、半減に近い47名になりました。

この時は、武蔵中学に通って武蔵高校へ内部進学する頃でしたが、

こんなに
一気に減少した・・・

そのあまりの減少っぷりに、在校生は大きな衝撃を受けたものです。

ただ、この時は、

まあ、前の年に
受かりすぎたのかな・・・

みたいな楽観論が大勢を占めていたのでした。

中学受験と異なり、「現役生と浪人生合わせての受験」となる大学受験ならではの特質かもしれません。

大きな変化が現れたのは、2001年です。

前年の2000年に「少ない45名」だったのが、2001年に続けて「少ない45名」となりました。

僕は大学生で家庭教師などもしていましたから、

低い数字が続くのは、
大変まずい傾向だな・・・

こう感じたものです。

この時に、武蔵中高の現職の教員の方々たちが、どのような思いだったかは不明です。

他の進学校であれば、学校全体が驚天動地の事態となり、

大至急、
対策を練れ!

この傾向を
止めなければならん!

となったでしょうが、おそらく武蔵中高では、

まあ、なんとか
なるだろう・・・

こんな感じだったと想像します。

校内模試がなかった武蔵:試験が少ない環境と大学受験

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武蔵中学・高校のかつての校舎(新教育紀行)

現在の武蔵中高では「校内模試」を実施しています。

ところが、僕たちがいた頃は「校内模試」はなく「実施する気配」すら感じられませんでした。

おそらく、武蔵中高の教育理念としては、

模試は塾や予備校がやることで、
学校では不要なのでは・・・

が本音でしょうが、

なぜ、武蔵高校では、
校内模試をやらないんですか?

うちの子の大学受験が
うまくいかなかったら、どう責任取るんですか?

みたいな「親の声」に押されて、校内模試を実施することになったのでしょう。

実際、僕たちの頃の武蔵生にとって、「高校での校内模試」に対しては、

学校で模試は
いらないだろう・・・

こんな空気で、僕も同感でした。

具体的に「いつから校内模試実施」かは知りません。

僕は、数年前に当時のK校長にお会いした際に、校内模試に関しては聞いてみたことがあり、

やっぱり、校内模試は
やらないとならない空気なんだな・・・

と感じたものです。

僕たちの頃の武蔵では、「校内模試」というのは「違和感がある存在」でした。

開成高校では「校内模試で100傑を出す」という話を聞いてましたが、

まあ、開成らしいが、
うち(武蔵)は関係ないな・・・

そんな空気が蔓延していました。

念の為、開成高校を非難しているのではなく、僕は開成が好きで「開成とは違う」と感じただけです。

この空気を、当時の武蔵中高生は「好きだった」のです。

そして、その空気と環境に居続けると武蔵の教育理念・カラーに染まり続けます。

「校内模試がない」だけでなく、試験・小テスト自体が極めて少なかったのが実態でした。

つまり、「学んだことをチェックする機会」が非常に少ないのです。

この「大らかな学びの空気」を、当時の武蔵生は「満喫していた」のでした。

学習した内容を試験やテストでチェックすることは、

それは自分でやるか、
塾でやれば良いだろう・・・

武蔵中高の教員・先生方は、こんな姿勢でした。

そのため、高校3年になっても、試験・テスト形式の授業は非常に少なかったです。

大学受験を目の前にしたら、「トレーニングと実践」=「テストを受ける」が最も効率的です。

これは、大学受験に限らず、各種資格試験にも共通する話です。

試験やテストをどんどんやってみて「自分が何ができないか」を把握することが、試験対策では最も効果的です。

ところが、武蔵高校の雰囲気はあくまで「学びの場であり、受験の場ではない」空気でした。

数少ない「授業でテストを繰り返し実施する」授業を行なった漢文のY先生。

Y先生には中学三年の時にも習っていました。

Y先生は、

やあ、みんな、
久しぶりだな!

今年は高校3年だな、
ということは大学受験があるな!

中学3年の時は、漢文を音読し、
その背景を学ぶ授業をしたが・・・

今年は切羽詰まった諸君のために、
毎回テストで確認しようと思う!

この「切羽詰まった諸君」という言葉を、今でも覚えています。

これに対しては、「試験の機会が少ない」生徒からすると、ある程度歓迎することでした。

なんと言っても実践して、
学力が上がるなら良い!

とにかく、受験生としては試験で良い点が取れなければ「話にならない」のが現実です。

このY先生の漢文の授業では、ほぼ毎回ちょっとしたテストをして、その後に、

この「遂に」というのはだな、
〜ということだ・・・

みたいな感じで、「受験に直結するだろう」ことを学びました。

他の大多数の授業では、普通に学んだりオリジナルテキストの問題を解いたりする内容です。

この中、「ある程度の大学進学実績を出し続けている」武蔵の在校生だった僕たちは、

まあ、毎年こういう感じで
合格しているから、大丈夫だろう・・・

こんな雰囲気だったのでした。

武蔵中学・武蔵高校凋落の理由と原因:トレーニングしない学び

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武蔵中学・高校のかつての校舎(新教育紀行)

高校3年の時にY先生のように、大学受験の問題のトレーニングをする授業は、非常に稀でした。

例えば、化学のW先生は、個性的な授業で面白い先生でした。

みんな、今年は
受験の年だな・・・

頑張って
やってくれな・・・

激励するも、特に「大学受験に特化」した授業では全くなく、

この化学反応式は、
こう考えることが出来るな・・・

時には、

こういう有機化学の問題では、
ここに着目するといいんだぞ!

みたいな話もありましたが、到底「試験対策」になる内容ではありません。

ある時には、

しばらく大学入試問題を見てなかったが、
ちょっとこの間に東大の問題を見てみた・・・

なかなか難しいな。
だが、こういう問題もしっかり化学を理解していれば解けるだろう!

半分冗談みたいな感じですが、「久しく大学入試問題を見ていない」と生徒の前で公言します。

そして「ちょっと東大の問題を見た」というW先生。

他の進学校だったら「ありえない光景」かも知れませんが、当時の武蔵生にとっては、

あ、個性的なW先生も
入試問題を見ることがあるんだ・・・

くらいな感じで受け取ったものでした。

このような「のんびりした空気」の中、

大学受験は
なんとかなるのかな・・・

と高校で大半の時間を過ごし、市販のテキスト・問題集や塾で習ったりしていたのが当時でした。

とにかく、中学一年生の頃から、レポートばかりで「考えること」を大事にする授業でした。

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筆者の武蔵中学三年生:社会・歴史記述の答案(新教育紀行)

中学三年生の時のO先生の授業の答案を「記述の採点の一例」として、お見せしました。

このような文章を試験やレポートの際に「ひたすら自分で考えて、学ぶ」のが武蔵の教育でした。

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中学三年生の歴史の授業プリント(新教育紀行)

武蔵中学の授業では、文科省の教科書は一切使用せず、全てオリジナルテキスト・プリントでした。

オリジナルテキストがあったのは、「体系的学問」の色彩が最も強い数学くらいでした。

他の授業はテキストがなく、上のようなプリントが配布されて、考えて板書して学んだのです。

上のプリントの例は、歴史における「百姓一揆に関する古文書」で、これを解読して学びます。

歴史は、こういう文書を
研究して学ぶんだ・・・

「歴史好き」の僕は「古文が不得意」なので、よく分からない点が多いですが、雰囲気が分かります。

この「雰囲気を理解する」ことも、学びの上では大事なポイントです。

こういう学びを「本質的学び」として懸命に学んだ武蔵中高生にとって、「大学受験の試験は異質」でした。

なんか、マーク式試験って
嫌だな・・・

「異質なこと」をやるのは、誰しも苦痛を伴い、大変な苦労をします。

そして、試験やテストによる「トレーニングをほとんどしなかった」1990年代の武蔵中高の教育。

武蔵中高の「凋落=東大合格者激減」の最大の理由は、ここにあるのでしょう。

この「トレーニングに対する視点」は、様々な意見があるでしょう。

「本質的学び」は非常に重要であると筆者は考えますが、「適切なトレーニングも大事」です。

そして、受験においては「着実なトレーニング」は「点数を取るため」の最短の道です。

模試への大事な姿勢

・「模試を活かす気持ち」を持つ

・「本試験の予行練習・トレーニング」と言う姿勢を持つ

・大事なことは「模試の成績をあげる」ではなく、「本番で合格する」こと

模試や試験は「トレーニングの場」として、合格判定を気にし過ぎるより「活かす」ようにしましょう。

新教育紀行

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