前回は「山崎直子 12~米国の女の子と文通・英語部・広がる世界〜」の話でした。

今回は、山崎直子 宇宙飛行士が生まれ育った時代を考えてみます。
敗戦から復興へ
1970年に生まれた山崎直子 宇宙飛行士。
日本が敗戦して25年の時が流れていました。
この28年前の1942年は、山口多聞司令官がミッドウェーで米軍と死闘を繰り広げました。
その後、日本は原爆投下を受けたのち、米国はじめとする連合国に降伏して敗戦が確定しました。

敗戦後、都市という都市、街という街がほとんど全て焼け野原となった日本。
日本は、復興を目指します。
明治維新から昭和へ

明治維新から「欧米に追いつき、追い越せ」とひたすら前進を続けた日本。
ひたむきに前を目指した時、江戸時代以来の日本の文化を否定する動きもありました。

とにかく、欧州から
最新の技術・文化を仕入れるのだ!
欧州に学べ!


「欧州に学べ」という国策のもと、優れた人物たちが多数留学しました。



日本の医学は
ドイツの医学よりはるかに遅れている・・・
日本と欧州のあまりの差に驚愕しながらも、皆歯を食いしばって学びを続けます。



とにかく、欧州の文化を
学ぶのだ!
そして国家国民が一体となって、ひたすら邁進を続けた日本(大日本帝国)。
1895年に日清戦争を勝ち抜き、歴史的・文化的に兄貴分でもあった中国を圧倒しました。
さらに、1905年には「明らかに目上の存在」であったロシアに辛勝した日本。
当初は、日本とロシアが戦争して「日本が勝つ」と思った人は、ほとんどいませんでした。
当時の日本とロシアでは「国家としての格が違う」のが実情だったのです。
欧米から「極東の小国」と思われていた日本でした。
その日本は、躍進につぐ躍進を遂げて「大躍進」を成し遂げました。
続けて、膨張に膨張を続けた日本。
当時、海外に広大な植民地を抱えていた英国・フランスに見習うことこそが、「大国の証」と考えました。


そして日本もまた、
海外進出するのだ!
自国の領土が広ければ、
自国のみでブロック経済圏がつくれる!
という強烈な理念のもと、アジアの陸と海を支配する存在にまで躍り出ました。


ミッドウェー海戦の頃、最高潮を迎えた大日本帝国。
現在では考えられぬほど広大な領土・事実上の支配領域を持ちました。
その後、米軍に押されまくりながらも必死に抵抗を続けた日本(大日本帝国)。
ついに1945年の敗戦に至りました。
復興から躍動へ:東京オリンピック
敗戦後の日本は、米軍の統治下に入ります。
つまり、一時期は現在日本を統括している日本政府は「米国政府の下」の存在になったのでした。
1960年の日米安保条約改正などを経て、米国の弟分的存在と存在として復興を続ける日本。
ついに一つの大きな国家的イベントを迎えました。


1964年の東京オリンピック開催です。
つい最近の2021年に「東京オリンピック2020」を開催し、「二度目のオリンピック」を行った日本。
実は、1964年の東京オリンピックが「最初のオリンピック」ではありませんでした。
戦争中の1940年に「東京オリンピック」が予定されていたのです。
この時は、オリンピック開催に至らなかったのです。
1940年は、対米戦前で日本が第二次世界大戦に参戦する前でした。
当時、中国と大規模な日中戦争を続けている中、国際社会(欧米社会)は
Japanは国際連盟も脱退し、
Asiaで暴れ回っているではないか。
JapanでOlympicを
開催する状況にはない。
と判断し、中止に至ったのです。
いわば「24年前やるはずだったオリンピック」であり、復興の象徴であった大イベント。
日本は復興から躍動へと転化し、1960年代は実質経済成長率10%程度をキープしました。
実質経済成長率がマイナスの時もあり、「ほぼ成長していない」現代の日本。
この現代日本から考えると驚異的な成長を遂げていたのが、1960年代の日本でした。
明治維新の頃を思わせるような「猛烈な勢い」で急成長する日本。
世界中が驚愕しました。
なぜ、Japanは、
あんなに異常な勢いがあるのだ?
どうやったら、
あの成長を成し遂げられるのだ?
世界中が驚愕の眼差しで日本を見つめる中、日本は躍進を続けます。
そして、山崎宇宙飛行士が誕生した1970年、さらに大イベントを迎えました。

