現代日本に直結する現代史〜敗戦から「稀有な復興」へ・明治維新から昭和へ・「国家の骨格」まで欧米から直輸入・復興から躍動のシンボル・東京オリンピック〜|山崎直子13・幼少期の時代

前回は「米国の同い年の女性との文通開始した山崎直子〜遠い世界を実感・辞書で地道に調べる大事さ・辞書を丸写しした勝海舟・米国と日本の大きすぎる違い・広がる世界〜」の話でした。

宇宙飛行士 山崎 直子(Wikipedia)
目次

現代日本に直結する現代史:敗戦から「稀有な復興」へ

広島への原爆投下(Wikipedia)

今回は、山崎直子宇宙飛行士が生まれ育った時代を考えてみます。

1970年に生まれた山崎直子 宇宙飛行士。

日本が敗戦して25年の時が流れていました。

山崎直子が生まれた頃から現代までの時代は、ちょうど日本の戦後の時代に重なります。

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縄文時代:火焔型土器(Wikipedia)

縄文時代では〜で、
弥生時代は〜な時代でした・・・

小学校〜中学校の歴史の授業では、縄文時代や弥生時代を一生懸命勉強します。

そして、その後の飛鳥時代・平安時代・鎌倉時代・・・と一生懸命学びますが、

日本は第二次世界大戦で敗戦し、
戦後は高度成長して現代に至ります・・・

こと「戦前から戦後」の歴史の話となると、あっという間に終わる傾向があります。

僕は小学生の時から歴史が大好きですが、小学校で戦後を習った記憶がほとんどありません。

現代日本および日本の骨格を
理解するには縄文時代は大事!

と言う考えもあり、それは僕も同感です。

ところが、「現代の日本と日本人」への影響では、「戦前から戦後」と「縄文時代」では比較になりません。

「戦前から戦後の歴史」方が、縄文時代や弥生時代のより遥かに現代への影響が大きいのです。

そこで、山崎直子の人生を振り返ると同時に、背景の日本の現代史を振り返りましょう。

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日米海軍指揮官:左上から時計回りに、山本五十六 連合艦隊司令長官、チェスター・ニミッツ米太平洋艦隊司令長官、レイモンド・スプルーアンス 第16任務部隊司令官、山口多聞 第二戦隊司令官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社、Wikipedia)

山崎が生誕した28年前の1942年は、山口多聞司令官がミッドウェーで米軍と死闘を繰り広げました。

その後、日本は原爆投下を受けたのち、米国はじめとする連合国に降伏して敗戦が確定しました。

敗戦後、都市という都市、街という街がほとんど全て焼け野原となった日本。

日本は、復興を目指します。

明治維新から昭和へ:「国家の骨格」まで欧米から直輸入

幕末〜明治の威人(偉人)たち

明治維新から「欧米に追いつき、追い越せ」とひたすら前進を続けた日本。

ひたむきに前を目指した時、江戸時代以来の日本の文化を否定する動きもありました。

とにかく、欧州から
最新の技術・文化を仕入れるのだ!

ひたすら
欧州に学べ!

左上から時計回りに森鴎外、後藤新平、夏目漱石、北里柴三郎(Wikipedia)

「欧州に学べ」という国策のもと、優れた人物たちが多数留学しました。

日本の医学は
ドイツの医学よりはるかに遅れている・・・

日本と欧州のあまりの差に驚愕しながらも、皆歯を食いしばって学びを続けます。

とにかく、欧州の文化を
学ぶのだ!

そして国家国民が一体となって、ひたすら邁進を続けた日本(大日本帝国)。

学問・文化・軍制から「国家の骨格」に至るまで、欧米から直輸入しました。

1895年に日清戦争を勝ち抜き、歴史的・文化的に兄貴分でもあった中国を圧倒しました。

さらに、1905年には「明らかに目上の存在」であったロシアに辛勝した日本。

当初は、日本とロシアが戦争して「日本が勝つ」と思った人は、ほとんどいませんでした。

当時の日本とロシアでは「国家としての格が違う」のが実情だったのです。

欧米から「極東の小国」と思われていた日本でした。

その日本は、躍進につぐ躍進を遂げて「大躍進」を成し遂げました。

続けて、膨張に膨張を続けた日本。

当時、海外に広大な植民地を抱えていた英国・フランスに見習うこと。

それこそが、「大国の証」と考えました。

大英帝国の領土:1921年(Wikipedia)

そして日本もまた、

とにかく、
海外進出するのだ!

自国の領土が広ければ、
自国のみでブロック経済圏がつくれる!

という強烈な理念のもと、アジアの陸と海を支配する存在にまで躍り出ました。

大日本帝国の進出(第二次世界大戦全史 洋泉社MOOK)

ミッドウェー海戦の頃、最高潮を迎えた大日本帝国。

現在では考えられぬほど広大な領土・事実上の支配領域を持ちました。

その後、米軍に押されまくりながらも必死に抵抗を続けた日本(大日本帝国)。

ついに1945年の敗戦に至りました。

復興から躍動のシンボル:東京オリンピック

東京オリンピック1964開会式(Wikipedia)

敗戦後の日本は、米軍の統治下に入ります。

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ダグラス・マッカーサーGHQ総司令官(Wikipedia)

俺がJapanを
根底から変えてみせるぜ!

これまでの軍国主義的な
憲法は全面廃止!

教科書の不適切な教育は
全部黒塗り!

そして、一時期は現在日本を統括している日本政府は「米国政府の下」の存在になったのでした。

約7年間の「米国(軍)統治」を経て、1952年に独立を果たしました。

1960年の日米安保条約改正などを経て、米国の弟分的存在と存在として復興を続ける日本。

ついに一つの大きな国家的イベントを迎えました。

1964年の東京オリンピック開催です。

つい最近の2021年に「東京オリンピック2020」を開催し、「二度目のオリンピック」を行った日本。

実は、1964年の東京オリンピックが「最初のオリンピック」ではありませんでした。

戦争中の1940年に「東京オリンピック」が予定されていたのです。

この時は、オリンピック開催に至らなかったのです。

1940年は、対米戦前で日本が第二次世界大戦に参戦する前でした。

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満州国(Wikipedia)

当時、中国と大規模な日中戦争を続けている中、国際社会(欧米社会)は、

Japanは、中国の満州に
傀儡政権を樹立したではないか!

Japanは国際連盟も脱退し、
Asiaで暴れ回っているではないか!

JapanでOlympicを
開催する状況にはない!

と判断し、中止に至ったのです。

いわば「24年前やるはずだったオリンピック」であり、復興の象徴であった大イベント。

日本は復興から躍動へと転化し、1960年代は実質経済成長率10%程度をキープしました。

実質経済成長率がマイナスの時もあり、「ほぼ成長していない」現代の日本。

この現代日本から考えると驚異的な成長を遂げていたのが、1960年代の日本でした。

明治維新の頃を思わせるような「猛烈な勢い」で急成長する日本。

世界中が驚愕しました。

おいおい・・・
最近のJapanは、どうかしているな・・・

なぜ、Japanは、
あんなに異常な勢いがあるのだ?

どうやったら、
あの成長を成し遂げられるのだ?

世界中が驚愕の眼差しで日本を見つめる中、日本は躍進を続けます。

そして、山崎宇宙飛行士が誕生した1970年、さらに大イベントを迎えました。

1970年の大阪万博(Wikipedia)
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