歴史上の人物 5〜歴史のまとめ・覚え方・流れ・明治維新の導火線に火をつけた男・疾風怒濤の如く駆け抜ける・長州の木戸と薩摩の西郷・武士ではない「非正規軍」〜|中学受験・社会

前回は「歴史上の人物 4〜歴史のまとめ・覚え方・流れ・土佐藩出身の猛将・新政府軍に反感持つも、武士らしさ貫く・土佐と長州と薩摩・西南戦争を戦い抜いた若き参謀・日露戦争〜|中学受験・社会」の話でした。

今回は、幕末の人物・事件です。

下記1〜3の人物・出来事を漢字で答えて下さい

1.幕末の長州藩の人物で松下村塾で学ぶ。

徳川幕府が長州征討を決定し、長州藩が幕軍から侵攻される際、藩兵・民兵を率いて幕軍を撃退。

海軍総督として長州藩を支えるが若くして病死。

2.徳川幕府が長州征討を決定した原因で、長州藩が京へ侵攻した事件。

3.1の人物が組織した民兵の名称。

f:id:Yoshitaka77:20220107103028j:plain
目次

明治維新の導火線に火をつけた男:疾風怒濤の如く駆け抜ける

長州藩士 高杉 晋作(Wikipedia)

1は高杉晋作です。

作の晋の字は、安倍元首相の安倍三の晋と同じです。

幕末を、疾風怒濤の如く駆け抜けた高杉晋作。

英国大使館を
焼き討ちだ!

なんと、当時、世界最強国である大英帝国の大使館を焼き討ちしました。

英国大使館を
焼き討ちしてやろう!

と「考えた」方は、一定数いたでしょう。

ところが、

英国大使館を本気で
焼き討ちしてやる!

と本気で「考えた」方は、非常に少数であったはずです。

「世界最強国に喧嘩を売る」ことは「常人の発想では不可能」です。

この「実行できる方は、ほとんどいない大変な大事件」を実行することこそ、高杉の真骨頂でした。

幕末、「煮えたぎった火薬庫」のような存在だった長州藩において、人一倍燃えていたのが高杉でした。

思想家 吉田松陰(Wikipedia)

高杉たちの「先生」であった吉田松陰の過激な姿勢。

とにかく
実行あるのみなのだ!

高杉は「明治維新の導火線に火をつけた男」と言って良いでしょう。

何事も実行しなければ、
意味がない・・・

長州藩内部で、俗論党に押されて一度失脚します。

くっ・・・
一時、雌伏の時期だ・・・

「危険すぎる高杉」は、

高杉を放っておくと、
何をするか分からん・・・

長州藩上層部の考えによって、高杉は牢屋に入れられます。

高杉よ・・・
少し頭を冷やせ・・・

・・・・・

そして、吉田松陰先生は、安政の大獄で処刑されました。

俺が、俺が・・・
長州藩をまとめて、幕府を叩き潰してみせる!

最終的に長州藩の軍事の中心人物となって、長州藩を支えます。

久坂玄瑞と共に「松下村塾で、特に松陰に目をかけられた双璧・優等生」でした。

長州藩士 久坂玄瑞(Wikipedia)

禁門の変:長州の木戸と薩摩の西郷

禁門の変(Wikipedia)

2は「禁門の変」あるいは「蛤御門の変」です。

どちらでもOKですが、「禁門の変」の方がベターでしょう。

「蛤御門」は「門の名称」ですが、「禁門」は文字通り「御所にしかない門」です。

京都から駆逐された長州藩が、

おのれ!
我が長州藩の本領を見せてくれるわ!

激昂して、御所へ攻め込んだ大事件です。

西郷 隆盛(国立国会図書館)

この時、徳川幕府や会津藩と一緒に、長州藩を撃退したのが西郷率いる薩摩藩です。

皆のもの、長州を
撃退するごわす!

ははっ!
西郷先生に続け!

もともと「勝ち目のない戦い」を仕掛けた長州藩。

くっ・・・
会津だけでも厄介なのに、薩摩まで・・・

薩摩め・・・
絶対に、絶対に許さんぞ!

幕軍・会津軍・薩摩軍などの連合軍に猛反撃されて、撃退されます。

首謀者の一人、久坂玄瑞は若くして、責任をとって自決(自殺)します。

無念だ・・・

木戸 孝允(国立国会図書館)

御所への出撃に猛反対していた桂小五郎(後の木戸孝允)。

乞食の如く身をやつし、辛くも京から本国・長州へ逃げます。

長州藩の若手筆頭的立場であった久坂が自決に追い込まれ、長州軍は壊滅状態に陥りました。

さらに、自分も死ぬような「九死に一生を得た」思いをした木戸。

おのれ・・・・・
西郷め・・・・・

木戸孝允が、生涯通して「西郷を憎んだ」のは当然でした。

奇兵隊:武士ではない「非正規軍」

f:id:Yoshitaka77:20220109081105j:plain
奇兵隊(Wikipedia)

3は奇兵隊です。

もはや、長州は
滅亡寸前だ・・・

正規軍だけでは、
幕軍と戦うのに戦力不足・・・

武士・侍ではない
新たな軍隊を募る!

正規兵ではないから、
奇兵隊と名乗る!

まさに「に対して」を実行した高杉。

幕末を駆け巡った高杉は、病のため29歳で亡くなってしまいました。

もう少し、
もう少し戦いたかったのう・・・

陸軍だけではなく、軍艦に乗って暴れ回った高杉は海軍の軍事能力も高かった人物です。

面白き・・・こともなき世を
面白く・・・

病とはいえ、若い頃から「死と隣り合わせ」で苦労し続けてきた高杉。

高杉・・・

病死とはいえ、生命エネルギーを使い果たし、事実上「戦死」であった高杉。

f:id:Yoshitaka77:20220109081223j:plain
山縣有朋(国立国会図書館)

この時、高杉の補佐役である「奇兵隊の軍監」を努めていたのが山縣狂介、後の山縣有朋でした。

高杉死後、明治新政府で陸軍卿、内閣総理大臣となり「日本陸軍の法皇」と言われるほど強力な権力を持ちました。

新教育紀行

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次