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山川捨松 6~重荷を背負う会津藩〜

前回は「山川捨松 5~天皇という存在〜」の話でした。

山川(大山)捨松(Wikipedia)
目次

安政の大獄

長らく概ね平和だった日本。

井伊 直弼(Wikipedia)

欧米列強の中国に対する仕打ちなどで、日本中が混乱します。

その中、条約調印を強行した井伊大老。

井伊は、けしからん!

という勢力が出てきます。

対する井伊大老。

繰り返すが・・・

徳川幕府は、日本政府だ!

政府に歯向かうとは、
いい根性してるな!

と、安政の大獄という大弾圧に踏み切ります。

尊王攘夷派など、
消えてしまえ!

水戸藩主・徳川斉昭らを謹慎処分にします。

吉田 松陰(Wikipedia)

さらに、吉田松陰・橋本左内等が斬首という、大事件に発展します。

始まる血塗られた歴史

井伊は、絶対に許さん!

ここで、「力には力を!」と井伊大老に反撃を企む武士が現れます。

桜田門外の変(Wikipedia)

そして、山川捨松が誕生した1860年。

なんと、大老・井伊直弼が襲撃さ・殺害されるという「桜田門外の変」が勃発します。

狙われているのは、
分かっていたが・・・

本気で、総理大臣たる
私を襲うとは・・・

そして、この前後から「尊皇攘夷派」による殺人事件が、京都を中心に多数発生します。

会津藩主・松平容保

のちに新政府軍が徳川幕府を倒したため、善玉として扱われることが多い「尊皇攘夷派」。

しかし、内実は非常に陰惨なことを、おこなっている人物が多かったのです。

「尊皇攘夷」の旗を下に、殺人を続ける一派が多数出現します。

天誅!

敵と見做せば、「天誅」の合言葉で殺害し、その遺体を見せびらかすという、現代では信じがたいことを実施していました。

将軍後見職 徳川 慶喜(Wikipedia)

のちに第十五代将軍となる、当時「将軍後見職」という職にあった一橋慶喜。

京都で、
殺人が多数発生しているだと・・・

そんなこと、政府として座視は出来ん!

どこか、強力な藩に、京都を守らせるのだ!

そして、その「尊王攘夷派」とかいう輩を
叩きのめすのだ!

どこかないか・・・

会津藩主 松平 容保(Wikipedia)

いた!
会津だ!

会津藩主 松平容保よ。
京都を守ってほしい。

頼って頂く、
お気持ちは嬉しいですが・・・

我らでは、不可能です。

当時、「西の薩摩、東の会津」と言われ、いわば「二強」に挙げられていた会津藩。

しかし、京都で跳梁跋扈する殺人犯を取り締まるのは、大変なことです。

無理です・・・

ご勘弁を・・・

しかし、一橋慶喜は諦めません。

お前しか、いないのだ!

「あなたしかいない!」と言われると、真面目な人間は弱い。

分かりました・・・・

そして、渋々ながら、京都守護職に就任した会津藩主 松平容保。

山川捨松が二歳の時でした。

容保が「無理」と思っていた役職。

それは、松平容保のみならず、会津全体が地獄へゆく片道切符となりました。

・・・・・

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