前回は「西郷隆盛 1〜個性と精神育んだ郷中教育〜」の話でした。
今回は第二次世界大戦における日本海軍軍人(将軍) 山口多聞をご紹介します。

日本海軍の希望の星
山口多聞の珍しい「多聞」(たもん)という名前。
ピンときた方がいらっしゃるかもしれません。
この名前は楠木正成の幼名「多聞丸」にちなんだ名前です。

「大楠公のように優れた人物になって欲しい」という親の気持ちが込められています。
南北朝時代に智略のかぎりを尽くして、足利尊氏の大軍と戦い、最後は敗北・自刃した楠木正成。
極めて優れた武将であり、その高潔な精神は極めて高く評価されており、皇居にも大きな銅像が建っています。
この「多聞丸にあやかれ」という名前の山口多聞は、その名前に恥じず、極めて優れた将軍となりました。
日本海軍といえば、山本五十六連合艦隊司令長官ですが、歴史好きの間で「好きな海軍軍人」あるいは「優れた海軍軍人」で投票を行えば、ベスト3に入ることは間違いありません。
陸海軍で投票しても、ベスト3に入る可能性が高い存在です。
僕も山口多聞(少将・中将)は非常に高く評価しており、「戦略・戦術的才能」は山本五十六(大将・元帥)を上回った人物と考えております。
優れた頭脳
小さな頃から頭脳明晰だった山口多聞。
海軍軍人養成学校=海軍兵学校に入学し、海兵40期を次席卒業します。
当時も東大などの帝国大学がありましたが、文字通り「お国に尽くす」陸軍・海軍の学校は、日本全国からエリートが集まり、「入学するのは東大よりも難しかった」とも言えるでしょう。
写真では優しそうな山口多聞ですが、非常な熱血漢でした。

さらに海軍大学校に進み、ここも次席卒業します。
エリート街道まっしぐらの山口多聞は、早い時期に航空母艦による「航空戦」の将来を予期します。
そして、航空戦を強力に推進する山本五十六とは「同志」とも言える存在となり、米英との軍縮条約協議なども同行し、大活躍しました。

開成の永遠に輝く星
実は、山口多聞は開成中学卒業です。
「開学以来の優れた頭脳」と開成で呼ばれた山口多聞。
開成→海軍兵学校→海軍大学校を、全て抜群の成績で通します。
「学校での成績が良い」ことは、必ずしも「能力が高い」ことではありません。
見方によっては、「言われた事・学んだ事を理解する能力に長けている」事を示すに過ぎないとも言えます。
山口は「理解力に非常に長けている」だけではなく、日本海軍で「山口独自の才能」を開花させます。
「山口多聞を、開成の方はご存知かな?」と思い、開成卒の親友に聞いてみました。

歴史に非常に詳しい彼は「山口多聞は知っているが、開成卒とは知らなかった」とのことでした。
「開成では優れた卒業生の一人として教えているのかも」と思いましたが、そうではありませんでした。
僕(武蔵卒)は開成が羨ましい。
麻布・武蔵などの出身者にも、優れた軍人はいるかもしれません。
山口多聞と比較しては、たいていの方は「遥かに見劣りがする存在」となります。
質実剛健な開成の教育
開成出身は、質実剛健で、良い意味で「真面目」な方が多い。
僕はそういう開成出身者が好きです。
開成は昔から運動会が有名で、「棒倒し」で熾烈な争いをすることを僕は中高生の頃に聞いていました。
普通の学校の体育祭・運動会はそこまで燃えませんから、「すごいな」と思いました。
「頭脳だけではなく、身体がともなってこそ」という開成の幅広い教育理念が込められています。
「優しそうな表情」の山口は、大変な大食漢で行動力も際立っていました。
まさに「開成の良いところを全て集めた」かのような山口多聞。
「開成の教育理念の鏡」であり、「開成の永遠に輝く星」と言って良いでしょう。
開成卒の方には、ぜひこの機会に「開成卒の山口多聞」を知って頂き、誇りに思って欲しいです。

そして、開成中学志望の中学受験生の君は、「僕には超優れた山口多聞がついている」と考えましょう。
合格の可能性が大きく上がるでしょう。
次回は、山口の若き日々から考えてゆきます。