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山口多聞 2〜強い気持ちから闘将へ〜|威人紀行

前回は「山口多聞 1〜開成の永遠に輝く星〜」の話でした。

今回は、山口の海軍兵学校時代からの生き方を考えてゆきます。

山口多聞(Wikipedia)
目次

非常に負けん気の強い人物

海軍兵学校・海軍大学校を、抜群の成績で通過した山口。

ただ優秀なだけでなく、学生時代から「負けん気の強い熱血漢」として有名でした。

負けるのは大嫌いだ!
とことん頑張るぞ!

「強い気持ち」を持つことは、軍人には非常に大事なことです。

中学受験を控える小学生、あるいは高校受験を控える中学生、大学受験を控える高校生にとっても大事です。

非常に強い気持ちを持っていた山口は、海軍を志し始めた頃から、将来「闘将」となることを心に決めていたのでしょう。

海軍では早い時期から、「山口は将来、連合艦隊司令長官になるのでは」と嘱望されるほどの存在でした。

早期に航空戦の将来を見出す

さらには、早い時期から「航空機による海戦」に大いに注目した山口。

当時は戦艦による「大艦巨砲主義」が中心で、それは世界中の海軍の潮流でした。

そして、我が国日本は巨大戦艦大和を生み出します。

戦艦大和(Wikipedia)

その中、ヨーロッパから「航空機による海戦」の概念が始まりました。

いわゆる「航空母艦=空母」で航空機を運ぶ「機動部隊」による攻撃です。

今の世界でも、空母は非常に大きな打撃力を持ちます。

「米国の原子力空母が横須賀の米軍基地入港」などがニュースになります。

世界中の国家が「米国など主要国の空母が今、どこにいるのか?」は非常に注目しているのです。

非常に大きな存在の空母。

第二次世界大戦初期から猛烈なパワーを発揮します。

空母赤城(Wikipedia)

ちょうど「戦艦から空母へ」の大きな流れの中、海軍軍人としての人生を過ごした山口。

海軍兵学校時代は、まだ航空戦の専門がなかったのですが、軍人として歩む中、航空派となります。

これからは航空機だ!
日本海軍で、私が航空艦隊の主軸となろう!

軍人とは

生死の境を生き抜く、軍人の方々。

日本には自衛隊員の方々がいらっしゃいますが、戦争を憲法で禁止されている日本にとって「戦争」は非常に遠い存在。

今、ウクライナで大量虐殺とも言える異常な事態をテレビやネットを通してみて、「目を疑う気持ち」になります。

しかし、平和な国「日本」に住んでいる日本人の多くは、「遠く」に感じてしまいます。

そして、第二次世界大戦に対しても「遠い歴史」のように感じる、我らが日本人。

一方で、諸外国は第二次世界大戦の時の日本を、よく知っています。

第二次世界大戦では、日独伊三国軍事同盟を結び枢軸国の一員として、米英ソなどと戦います。

最終的に敗北した日本・ドイツは、全盛時には広大な支配圏を有していました。

1941年ヨーロッパ・アジア支配圏(歴史人2021年8月号 ABCアーク)

本格的な大戦争が始まってしまい、軍事力の弱いイタリアは早々に敗北し、脱落。

途中からは、日本とドイツのみで「世界中を敵に回して戦争する」状況でした。

その後、1945年5月7日にドイツが連合国に降伏します。

8月15日までの3ヶ月余りの間、「日本だけで世界中と戦争する」状況になりました。

第二次世界大戦における最大・最強の国家は、今と変わらず超大国・米国。

かつて、米国に駐在武官として駐在経験のある山口は、山本五十六同様に「米国の巨大さ」を肌で知っていました。

米国は、あまりに巨大だ。
資源は豊富で、工業力が非常に高く、
その国力・軍事力は隔絶している。

我が国が米国に勝つのは、
非常に難しい。
だが、戦うならば、勝たなければ!

そして、米国と正面切って戦うことになった日本。

海を隔てて相対する日本と米国は、海軍の戦いが中心となります。

日本のために、海軍でお役に立つのだ!

若き日々から、海軍一筋で励んできた山口多聞。

本人は対米戦を望まなかったものの、「勝つのだ!」と非常に強い気持ちで、最強国家・米国と戦う最前線に向かいます。

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