思考力を問う問題・「鳴かぬなら・・・」を考えてみる姿勢〜信長・秀吉・家康の性格を表現・時代背景・時代に対する表現・風刺・秀吉に対する評価〜|中学受験・社会

前回は「思考力を問う問題 4」の話でした。

目次

「鳴かぬなら・・・」を考えてみる姿勢

戦国大名 徳川家康(Wikipedia)

今回は、歴史の思考力を問う問題の例です。

「鳴かぬなら・・・」の句を知っている方が多いと思います。

下記のような問題を考えてみましょう。

歴史の人物・「鳴かぬなら・・・・」

1800年頃に作成された本に、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康を例える句があります。

「鳴かぬなら・・・」から始まる句です。

織田信長は、「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」

豊臣秀吉は、「鳴かぬなら 鳴かせてみよう ほととぎす」

徳川家康は、「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」

この三つの「人物と句のセット」から、一つを選び、それに対するあなたの意見を書いて下さい。

説明・あなたの意見が、評価の対象です。

類似問題は、あるかも知れません。

信長・秀吉・家康の性格を表現:時代背景

戦国大名 豊臣秀吉(Wikipedia)

この三つの句の中では、大抵の方は秀吉の「鳴かせてみよう」が最も好感が持てるでしょう。

「大名の子」として生まれ育った信長と家康に対して、農民として生まれた秀吉。

戦国大名 織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

「鳴かぬなら・・・・・ほととぎす」が共通していて、

殺してしまえ!!

鳴かせてみよう!

鳴くまで待とう・・・

この戦国時代〜江戸時代を彩り、最も強烈な光を放った三人に対する評価。

「少し偏りすぎている」面もあります。

この句が作成された時代は、江戸時代。

1867年に明治維新を迎える徳川幕府は、1840年ごろから「揺らぎ始めた」と考えられます。

そして、この句が作成された1800年頃は、「徳川家がまだまだ圧倒的最強」の時代です。

このように「時代を表現した・風刺した」句や絵には、「必ず意図がある」のです。

徳川幕府の立役者・神君である家康に対して、

家康は「鳴くまで待とう・・・」
で良いだろう・・・

と考えている作者。

時代背景にもよりますが、「鳴くまで待とう・・・」はネガティブでなくても、良い表現ではないです。

戦国時代を生きた人間に対しては、少し大人しすぎるイメージです。

時代に対する表現・風刺:秀吉に対する評価

左上から時計回りに戦国大名・天下人 織田信長、豊臣秀吉、北条氏政、徳川家康(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

江戸時代の首都・江戸を支配していた北条家を叩き潰した豊臣家。

元々、「織田家の有力武将」であった秀吉は、世界史上でみても、異例の出世を遂げます。

そもそも「何者から全く分からない」立場なのに、最高権力者に上り詰めた秀吉。

それだけに、秀吉に対してはより強い「英雄視」があるのかも知れません。

徳川幕府に抑圧され、「神君・家康に良い感情を持っていない」立場の方。

すると、必然的に「徳川家の敵であった豊臣家」には甘くなる傾向があります。

その結果、

秀吉は大した人物だから
「鳴かせてみせよう!」だ!

となり、江戸時代の方にとって、家康・秀吉より「少し遠い存在の信長」に対しては、

信長は残虐性を持って、戦国時代に
ピリオドを打ちかけたから・・・

信長は「殺してしまえ!!」が
ピッタリだろう・・・

と考えたのでしょう。

学習マンガなどでも、「人たらし」で「好々爺」に描かれることが多い秀吉。

実は、秀吉もかなり残酷なことをやっていて、「信長以上の残虐さを持つ」人物でもありました。

信長・秀吉と比較すると、家康は「最も残虐性が低い」面があります。

ただ、豊臣家を滅ぼす際の家康の姿勢に対しては、様々な意見があるでしょう。

このように、「一面的には捉えられない信長・秀吉・家康」に対して、書いてみましょう。

何をどう書いたら
「良い」のかな・・・

どのように書いたら、
良い点数をもらえるのかな?

この問題を大学生や大人が書いても、人によって様々な評価があるでしょう。

「あなたの意見」には「良い答え」は存在しないのが現実です。

採点者が、

この考え方は、
なかなか良い・・・

と考える「採点者が好ましいと考える答え」はあるでしょう。

「良い・悪い」と「特定の人物が好ましいと考える」は大きく違います。

自分で知っていることを元に、自由に100字〜200字くらいで書いてみましょう。

記述に対する練習だけでなく、歴史のまとめにもなるでしょう。

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