前回は「社会の知識チェック問題 11〜明治海軍の立役者〜」でした。
少し細かい知識です。
分からなかったら、「知らなかったけど、ここで覚えよう!」とポジティブな気持ちになって下さい。
医師となり内務省へ進み、日本統治下の台湾でインフラ建設を大きく進めることに貢献。
後に政治家となり、満鉄(南満州鉄道)総裁、内務大臣・外務大臣、東京市長などを歴任して手腕を発揮。
関東大震災発生直後から帝都復興院総裁となり、東京(帝都)復興に尽力。

答えは後藤新平です。

医師となり、内務省に入りドイツに留学します。
若い頃から優秀であった後藤新平は、台湾総督となった児玉源太郎に目をつけられて、抜擢されます。

児玉源太郎台湾総督の右腕となり民政局長として、台湾のインフラ建設を強引に進めます。
後にその強引な性格や壮大な計画を立てる事から「大風呂敷」とあだ名された後藤でしたが、この頃からその「強引さ」が現れています。
児玉はこの後勃発した日露戦争で、満州軍総参謀長となり日本勝利に導きます。
1906年に当時中国東北部にあった南満州鉄道(満鉄)の初代総裁に就任すると、30代〜40代の若手をどんどん抜擢し、満州のインフラ整備・衛生整備に尽力します。
若手抜擢には反発もありましたが、強引な後藤新平は「満州は午前8時の人材で運営するのだ!」と反対を突っぱねて、押し切ります。
その後、内務大臣・外務大臣・逓信大臣などの要職を歴任します。
山本権兵衛内閣では、組閣中に発生した関東大震災を受けて、内務大臣兼帝都復興院総裁に就任します。

関東大震災では10万人以上の方が亡くなり、東京中心部は壊滅状態になります。

帝都(東京)復興院総裁となった後藤は、「東京を改造して、新しい都市づくりをしよう」と意気込み、パリのような街にしようと試みます。
地権者の反対等もあったため、後藤が考えたような東京改造の大部分は頓挫してしまいますが、東京再生に大きな貢献をしました。
優秀な官僚であり、政治家でもあった後藤新平の能力は非常に多岐に渡ります。
日本国内のみならず、海外からも様々な表彰を受けた後藤は、様々な分野で大活躍しました。