前回は「特権階級と死闘続けた後藤新平〜廃藩置県と身分制度の大きな変革・徳川幕府の国家運営と「士農工商」の身分秩序・超強力だった殿様の力〜」の話でした。
裁判の中で離れてゆく人たち:様々な人たちとの別れ
ふとしたことから「相馬事件」という前代未聞の大裁判に巻き込まれてしまった後藤新平。
この俺も
ひょっとしたらダメか・・・
若い頃から、超強気であった後藤といえども、気持ちが大いに萎えてしまいました。
そもそも、元大名で華族という「特別階級」の相馬家と争うことになり、それだけでも分が悪い後藤。
私はザ・弁護士の
星亨です!
さらには
私は衆議院議長です!
弁護士であり、衆議院議長という超大物の星亨が登場してきました。
私は内務省の高級官僚
だが、衆議院議長と戦うのか・・・
もはや、これだけでも「一発でノックダウン」という状況の後藤。
・・・・・
さらに強力な敵が登場しました。
鑑定をめぐって、医師としての矜持を貫いた後藤に対して、
帝大(東大)教授である
私の鑑定が違う、だと?!
帝大(東大)を
なんだと思っているのだ!
帝大医学部が猛烈に反撃してきました。
帝大医学部が
反論してきたか・・・
誰が見ても、後藤新平が勝つ見込みは0%であり、絶体絶命でした。
この相馬事件の裁判の間に、後藤から離れてゆく人物も出てきました。
後藤は、
もうダメだな・・・
まあ、俺が目をかけて
やったが、もう後藤は終わりだろう・・・
若くてハッキリと主張する後藤を可愛がってきた長与専斎。
上記リンクで、当時、内務省衛生局長だった長与専斎が後藤新平を強く推してゆく話をご紹介しています。
なかなか出来る人物だったが、
後藤との縁も終わりだな・・・
「長与が後藤を見限った」話を聞いた後藤は、
長与さんも
私を・・・
少なからず衝撃を受けました。
内務省衛生局長を引き継いだ後藤にとっては、大先輩であり、医学の先達である長与。
日本の近代衛生学の超重鎮であり、神田下水道の整備などに尽力した長与の影響力は、かなり強いものでした。
非常に優れた人物であった長与ですが、「どことなく薄情」な顔立ちをしています。
「長与に見切られた」形となった後藤は、
仕方ない・・・
もう長与さんとは、こちらから手を切ろう・・・
長与及び「長与一派」と手をすっぱり切ることを決断しました。
人が困難に陥った時に、「本性が現れる」傾向があります。
日頃親しくしていたはずなのに、ちょっと悪いことが起きると、
まあ、Aはもう
ダメだろうな・・・
と手を引く人もいます。
あるいは、一緒に何か困難に立ち向かっている時に、
どうも状況が思わしくないから、
俺は先に抜けてやろう・・・
一緒に泥舟に乗って
沈没なんか、ゴメンだぜ!
という人もいます。
逮捕されて投獄された後藤に対しては、風当たりが強いのは当然でした。
ある人とある人が親しい間柄であっても、「なんらかの困難が発生した」時に、その「本当の関係」が見えてきます。
内務省にも強力な力を持っていた長与が離れたことで、
おい・・・
長与さんも後藤を見切ったらしいぜ・・・
じゃ、俺も
後藤とは終わりだな!
「後藤を守ろう」という勢力が大いに衰えたのでした。
1857年生まれの後藤新平は、相馬事件の裁判が行われていた1894年頃は37歳。
私は医師の立場から
内務省で、国家に尽くすのだ!
内務省厚生局長という超重役であり、現在の厚労省次官にも似た立場でした。
現在ではなくなった内務省は、現在の総務省を中核とした省庁です。
権限が強い総務省に加えて、財務省・国土交通省・厚労省などの一部機能を有していた内務省。
その内務省の高官である立場から、一気に牢獄に入った後藤。
さらに、周囲の知人・友人関係にも甚大な悪影響が出ました。
流石に、これは
ちょっと・・・
「強気な性格」くらいでは挫けてしまう状況でした。
「信じてくれる人」からの信頼で勝利した後藤新平:安場正和の慧眼
ここで、後藤にとって「大事な大事な人物」が、後藤を極めて強く支持しました。
後藤にとって恩人であり、奥さんの父(岳父)であった安場保和でした。
後藤、
頑張れよ!
私は
お前を応援し続ける!
いかに「実の娘が妻」である人物とはいえ、「逮捕・投獄された」人物を信頼し続けるのは困難があります。
さらに、安場は福岡県令(県知事)、愛知県令(県知事)などを歴任した「国家に尽くす立場」でした。
後藤の敵は、華族・相馬家に加えて、衆議院と帝大(東大)であり、「国家と戦っている」状況でもありました。
安場が民間企業に勤めている方であれば、話が別でした。
いわば、「国家に勤める者」が「国家と戦う者」を応援することは、
安場が後藤を
応援だと?!
娘さんが奥さんであることは
分かるが、立場ってもんがあるだろう!
安場自身の政治生命・社会生命にも、大きな悪影響をもたらす可能性がありました。
いわば、「自らの人生を賭けて」後藤を応援し続けた安場。
後藤よ!
お前は決して悪くない!
お前はお前らしく、
敵が誰であろうと戦うのだ!
そして、後藤を強く信頼する父親がいたこともあり、後藤の妻もまた、
父同様、私は
あなたを心から信じています!
これは、後藤にとっては、心の底から嬉しいことでした。
安場さんのためにも、
頑張って、必ず勝ってみせる!
こう奮起した後藤。
俺は絶対に
勝利してみせる!
このような絶望的状況でも、大いに燃えた後藤は、巨大すぎる敵たちと激戦を続けました。
そして、その結果、
証拠不十分で、
後藤は不起訴!
やっと・・・
やっと不起訴に持っていった・・・
一度は逮捕されたものの不起訴となり、晴れて自由のみとなった後藤。
絶大な敵に囲まれて「絶望の淵」に叩き落とされた後藤でしたが、なんとか乗り切りました。
「敗訴確実」の中での「不起訴」は「勝訴に近い終わり方」であり、
後藤!
よく頑張った!
はいっ!
安場さんたちのおかげです!
一方で、順風満帆すぎるキャリアから叩き出された後藤。
・・・・・
そして、約五ヶ月もの間、牢獄生活を強いられた後藤。
実際、かなり・・・
かなりきつかった・・・
そして、この経験で「離れる人」と「自分を強く守ってくれた人」を得ることが出来た後藤。
これはこれで良かったのかも
しれない・・・
よしっ!
心機一転、新たな人生だ!
この後、台湾総督府民政長官・満鉄総裁・内務大臣・外務大臣・東京市長(都知事)などを歴任した後藤。
おいっ!
次のヴィジョンは、これだ!
まさに獅子奮迅の人生を繰り広げました。
この「獅子奮迅」の力の根源には、「相馬事件での経験」もあったのでしょう。
小さい頃から苦労を続け、一度は順風満帆になったものの、さらに地獄を経験した後藤。
後藤のその後の人生については、別の機会でご紹介する予定で、ここで一区切りとします。