前回は「社会の知識チェック問題 8〜人物と出来事の暗記〜」でした。
今回からは「少し細かい人物」を取り上げます。
「知らなかったけど、ここで覚えよう!」とポジティブな気持ちになって下さい。
薩摩藩士で、禁門の変で活躍し西郷隆盛・大久保利通に見出される。
その後、鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争などでも中心的役割を果たす。
新政府成立後はフランスに留学して学び、日本の警察制度を確立し、初代の大警視(警視総監)となる。

答えは川路利良です。
初代警視総監ですから非常に重要な人物ですが、少し細かい知識です。

薩摩藩士らしく武に優れていただけでなく、非常に頭脳明晰な人物で西郷・大久保に可愛がられました。
禁門の変では、長州軍の遊撃隊総督 来島又兵衛を狙撃する軍功を挙げます。

木島は覚える必要はありませんが、当時の長州藩において「戦国時代からやってきた」かのような豪傑でした。
禁門の変の急先鋒で、御所に果敢に突進しました。
「来島のじいさん」と高杉晋作らには親しまれていました。

維新成立後は、西郷の推薦でフランスへ留学します。
江戸時代には「警察署=奉行所、警察官=岡っ引き」のような役割でしたが、現代の警察とは大きく異なる雰囲気でした。
という現代では当たり前のことに川路は感激します。

フランスでは、警察官に道を聞くと、丁寧に教えてくれる。
これはすごいことだ!
新生国家日本も、こうあらねば!
征韓論で西郷隆盛が下野すると、川路も「下野するのでは」と憶測されます。



私情は関係ない。
私は政府に残り、警察制度確立に人生を尽くす。
内務卿となり絶大な権限をもった大久保利通の大きな信任を受け、佐賀の乱などの鎮圧に大きな役割を果たしました。


そして西南戦争が勃発しました。
谷干城 熊本鎮台司令長官は旧士族や徴兵した兵を率いて、熊本城を守り抜き熊本鎮台防衛に成功します。
熊本城を守った後、新政府軍と薩摩軍の間で激戦が繰り広げられます。
最強士族であった薩摩軍の強烈な強さに、もともと士族でない者も多数いる新政府軍は猛烈に押されまくります。
野戦で勇猛果敢な旧薩摩藩士と、互角に戦える人物は当時少なかったのです。


旧薩摩藩士の強さを最も身近に知っている薩摩出身の大久保利通。



あの異常に強い薩摩軍に新政府軍は勝てるのか?
私の郷里だから、よく分かる。
彼らの強さは、日本国内で隔絶している・・・・・
薩摩軍幹部の篠原国幹(前陸軍少将)、桐野利秋(前陸軍少将)は「薩摩軍を舐めるな!」と野戦で猛烈な勢いでした。


困った大久保は、川路に相談します。



目には目を。
歯には歯を。
強者には、強者を。
強烈な強さを持つ薩軍には、強い軍団を!
旧会津藩士らが強そうだ。
旧藩士、しかも政府軍に恨みを持つ旧会津藩士を含む、旧士族を中心とする抜刀隊を結成して、薩軍へ突入させます。
川路利良率いる抜刀隊は強烈な強さで押していた薩軍を押し返し、田原坂の戦いなどの野戦でも薩軍に勝ちます。


「西郷隆盛を裏切った人物」として地元薩摩・鹿児島県では非常に人気が低い川路利良。
本来ならば、明治〜大正頃に「地元の英雄」として建てられるはずだった初代警視総監 川路利良の銅像。
郷里で、異常なまでに低人気の川路の銅像が鹿児島県警察本部前に、やっと建立されました。
それは、西南戦争から100年以上経過した、比較的最近の1999年のことでした。