前回は「社会の知識チェック問題 9〜明治新国家の立役者〜」でした。
少し細かい知識です。
薩摩藩出身で、薩摩藩から英国に派遣された遣英使節団の一人として欧州各地を歴訪。
その経験を活かし、新政府では大阪府権判事、初代大阪税関長に就任。
大阪に造幣局設立を新政府に進言し、設立。
初代大阪商(法)工会議所会頭となり、大阪経済の立役者となる。

答えは五代友厚です。

武闘派ばかりの薩摩藩士の中では、能吏肌の人間で小さい頃から当時最も開明的であった薩摩藩の欧米の様々な事物に影響受けます。
薩英戦争では一時捕虜になるも、その後英国と薩摩の関係が良好になり、薩摩藩から正式に欧州へ派遣される遣英使節団の一人となります。

欧州歴訪して、大きな影響を受けた五代は「先進国の実態を知っている人物」として新政府の重要人物となります。
因習深い京都から首都を移すことは、維新政府の大久保・木戸等の悲願でした。
一時は「大阪遷都」も浮上し、大久保・木戸が合意した説があります。

大阪が「商業・交通が非常に開けていたこと」と長い間、「京=山城に居続けた天皇に動座頂くには近場の大阪が適していたこと」があります。
さらに、長州の木戸・薩摩の大久保からすると「自分の国からの距離」を考えた時、海運も開けた大阪は適していました。
今も京都は重要な都市ですが、当時においては「日本の中心は京都」という感覚が非常に強かったのです。
様々なお金があった江戸時代を一新して「統一したお金にする」ための非常に大事な施設である造幣局を、五代の進言もあり大阪に設置することも決まります。
一時は「大阪遷都」になりかけたものの、前島密の進言もあり「江戸=東京遷都」に決定します。
このあたりは、新政府の大久保・木戸・岩倉らの間で様々な意見が交換され、それぞれの利害関係もあったのでしょう。

世の中が変わったことを、知らしめたい。
世を一新するには、天皇陛下には京都から近い大阪ではなく、江戸=東京に動座いただいた方が良い。



徳川幕府という政治機関の中心が250年以上の間、江戸にあった。
世が徳川から変わったとはいえ、政治の中心を変えるのは時間かかる。


その後、五代は大阪商工会議所(当初は大阪商法会議所)初代会頭となります。
それまでも商業の最も栄えていた大阪が繁栄を続けるように尽力しました。
鉱山王となり実業家としても成功し、岩崎弥太郎や前島密らと共に明治の新時代の経済面を大きく牽引しました。