前回は「社会の知識チェック問題 5〜人物と出来事の暗記〜」でした。
今回は日露戦争の歴史です。
1.薩摩藩出身の軍人。鳥羽・伏見の戦い・戊辰戦争などで活躍し、日清戦争で大きく貢献。
日露戦争では日本陸軍の最高司令官・満州軍総司令官を務める。
優勢なロシア陸軍に対して、戦いを有利に進める。
2.薩摩藩出身の軍人。日清戦争では連合艦隊司令官として勝利に貢献。
日露戦争では連合艦隊司令長官として、日本海軍を率いて襲来したロシア海軍に快勝し、日本を勝利に導く。
3.2の人物がロシア艦隊に快勝した海戦の名前。

1は大山巌です。

西郷隆盛の従兄弟で、若い頃から徳川幕府討幕に大きく貢献していました。
戊辰戦争の絵で大山巌の名前が記載されています。

ここで大山巌の名前があるのは偶然ではありません。
大山は若い頃から大変優秀で、大砲の改良を自分で行い、日露戦争まで長く使用されました。
大山の幼名である弥助から「弥助砲」と呼ばれます。
その為、「砲撃を加える倒幕側の象徴」として描かれているのです。
満州軍総参謀長の児玉源太郎とは大変良いコンビでした。

児玉を認めていた大山、作戦全般を全て児玉に任せる姿勢を明確にしました。

作戦は児玉さんに、全てお任せします。
全責任は、私が取ります。
そして、日本を勝利に導いたのです。
2は東郷平八郎です。


連合艦隊司令長官として日本海海戦(3の答え)をロシア バルチック艦隊と戦い、日本の大勝利となりました。
陸では、児玉源太郎総参謀長の知恵と工夫でロシア軍に辛くも勝利していました。
しかし、もともと陸軍の兵力が、日本よりもロシアの方がはるかに多かったのが実態でした。
本国から更なる増援部隊が来ると「日本にとってまずい」状況でした。


この時、東郷司令長官を作戦面で支えたのが、非常に優秀な頭脳を持つ第一艦隊(主力)参謀 秋山真之でした。


当時、秋山は30代半ばの若さでした。
受験では出ないでしょうが、秋山も知っておいて良いと思います。
実は大山巌と東郷平八郎は同郷の薩摩出身で、さらに同じ加治屋町出身です。
同じ町から陸海軍の最高司令官が出るのは奇遇ですが、これは薩長閥による影響はあります。
藩閥政治ではありますが、極めて優れた人物が長を務めたのは日本にとって良かったことです。
世界中から「日本がロシアに勝てるわけないだろう。格が違う。」と、言われていた日露戦争。
その中、大英帝国は日英同盟に基づいて様々な面で日本を援助し、世界中の英国領で日本側に立ってくれたのです。


大山・児玉・東郷・秋山ら前線の将軍や軍人、そして大英帝国の助力で、なんとかロシアに勝利出来たのです。