前回は「後藤新平 15〜西南戦争・大阪へ・予防・コレラ流行〜」の話でした。

周囲へ提言
大阪の臨時病院で、西南戦争の多数の負傷者を助けた後藤。
仕事に一区切りして愛知県立病院へ戻ってきます。

大阪では
大変な経験をした!



病気は、
予防しなければならない!
後藤は周囲の同僚医師たちに熱く語ります。



病気になってから治す、のとは
別に対処が必要だ!
ふ〜ん。
そうかもね。
ところが、同僚の医師たちは日々の業務が手一杯で、後藤の新たな知見に対して、冷ややかです。
それは、仕方ない面もありました。
当時、医学部が創設され始めて、現場の医師は西洋医学を吸収し、治療にあたるだけで精一杯なのです。



みんなで、
予防へ向けて努力しよう!
気持ちは
分かるよ。
でもさ、
なかなか・・・



なんで、みんな俺の話を
聞いてくれない!
奮起して献策



こうなったら、
直談判だ!


そして、後藤は愛知県令となっていた安場 保和に、直に献策にゆきます。
後藤にとって、いわば恩人でもある安場。
嬉しそうに後藤の献策を聞きます。



安場さん、
聞いて下さい!



あの暴れん坊が、
立派な医師になった。
目を細めて、嬉しそうにする安場。



予防は治療に
勝ります!



うんうん。
よく分かった。



君の言うことは
正論だろう。



なんとか、
予防体制の確立を!



この話は
非常に大事だ。



内務省衛生局で
提案してこい!



私が
話をつけておく。



東京へ
行ってこい!



有難う御座います!
そして、後藤は東京へ向かいます。
内務省へ
東京に着いた後藤。



そういえば、昔、「賊軍の子」とか
言われて・・・



癇癪起こして、
仙台に帰ったっけ・・・
懐かしい気持ちの後藤。
そして、内務省衛生局へ向かいます。
現代日本にはない内務省。
英国などでは今もある内務省は、外務省に対して国内に関する役所です。
当時の内務省は現代の総務省・厚生労働省・警視庁に加え、国交省・文科省の一部をも管理する巨大官庁でした。
初代内務卿は「事実上の首相」大久保利通でした。


内務省衛生局へ向かった後藤を相手したのは、長与専斎局長でした。


適塾出身で非常に優れた医師だった長与専斎。



予防が
大事です!



確かに。



君の言わんとすることは、
よく分かる。



上下水道の整備など、
病原菌を絶つのです!



大変な費用がかかるが、
それを目指してやってみよう。
長与局長から、好感触を得た後藤。



ぜひ、予防に向けて、
政策を推進して下さい。



分かった。



この後藤という青年は、
優れているな。
中央政府の医学の中心部である衛生局で、後藤の存在は大きく意識されるようになりました。



よし!
意気揚々とする後藤。
「する必要のないこと」ですが、後藤は



やらなければ、
気が済まん!
とにかく積極的な人物でした。