周囲に積極的に提言する後藤新平青年〜未曾有の大戦争西南戦争・安場保和へ直談判・予防医学推進・内務省へ・長与専斎との出会い〜|後藤新平16・青年時代・医師

前回は「医学の将来を考え続けた後藤新平青年〜予防への目覚め・武士たちの希望の星西郷隆盛の出撃・西南戦争の巨大な衝撃・大阪へ・未曾有の大戦争と多数の死傷者を前に〜」の話でした。

後藤 新平(Wikipedia)
目次

周囲に積極的に提言する後藤新平青年:未曾有の大戦争・西南戦争

西南戦争(仏紙ル・モンド)(Wikipedia)

後世から見れば、一つの反乱に過ぎないかもしれない西南戦争。

これ以前にも不満を持った旧武士たちは、萩の乱、佐賀の乱、神風連の乱と次々に反乱を起こしました。

ところが、圧倒的な新政府軍に早々に鎮圧されてしまいます。

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参議 江藤新平(国立国会図書館)

大物であった元参議・江藤新平が「佐賀の乱」を起こして、あっという間に鎮圧されました。

・・・・・

実は、江藤は新政府軍の猛攻を受けて、佐賀から一度脱出しました。

江藤の脱出行の行先は、維新の最大の功労者でした。

そして、当時の超大物にして「最後の藩士・武士」と言われた人物。

陸軍大将 西郷隆盛(国立国会図書館)

「最後の、最強の藩士・武士」西郷隆盛の元へ行った江藤。

西郷さん!
我が佐賀は新政府に撃破されたが・・・

あなたが、あなたが今立てば、
全国の士族たちが蜂起するでしょう!

ぜひ、一緒に
新政府を倒しましょう!

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征韓論争・明治六年の政変で下野した人物:左上から時計回りに、江藤新平、後藤象二郎、板垣退助、副島種臣(Wikipedia)

征韓論争(明治六年の政変)で一緒に下野した「元の同志」である江藤の懇願。

・・・・・

江藤さぁ・・・
これは違う・・・

戦を起こして、
叛逆するのは、おいどんはやり申さん・・・

・・・・・

西郷さん!
あなたを見損なったよ!

西郷に決起を断られた江藤は、逃避行を続けるものの、すぐに捕まってしまいました。

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内務卿 大久保利通(国立国会図書館)

賊である江藤の
首を刎ねよ!

1874年の佐賀の乱の際には、同調しなかった西郷とその一党。

3年後の1877年に、「最後の巨星」西郷はついに周囲に押される形で決起に踏み切りました。

討幕の目的は、
これではなかったはず!

私自ら東京へ行って、
正しい道に修正してもらうごわす!

西南戦争以外の反乱は全て「佐賀の」等「〜の」と呼ばれます。

対して、ただ一つ戦争となった「西南戦争」という反

「乱」というのは、「新政府側の視点」でした。

西郷は
賊である!

そして、大久保によって早々に「賊」に指定された西郷軍。

一蔵どん・・・
そう来るごわすか・・・

幼い頃から、兄弟以上の関係であった西郷と大久保の二人。

40年以上にわたった友情が、プツッと切れてしまいました。

むしろ、「40年以上にわたった友情」があったからこそ、このようになったとも言えるでしょう。

「明治維新最大の大物」であった西郷隆盛。

そして、未曾有の巨大な内戦であった西南戦争。

それは、「維新最大の巨星」西郷が「最強武士=薩摩藩士」を率いた大戦争だったのでした。

明治維新から丁度10年後のことであり、西郷も大久保も維新の時は「思いもしなかった」展開でした。

チェスト!
行くぞ〜!

強力な薩摩藩士を13,000名を率いて、東京目指して鹿児島を出発した西郷軍。

西郷先生!
私も加えてください!

西郷先生!
私も加えてください!

極めて人望が高く、圧倒的名声を誇っていた西郷のもとには次々と参加者が増えました。

おう・・・
皆で一緒に戦おう!

そして、西郷軍は最大で30,000名ほどとなり、政府軍と激戦を交わしました。

ダダダダッ!

ダダダダッ!

ダダダダッ!

カッチーン!

そのあまりに激しすぎる戦争で、「銃弾同士が正面衝突」する事態まで発生しました。

「かちあい弾」と呼ばれ、銃弾同士が正面衝突して一体化するほどの大激戦でした。

西郷軍が6,800名ほど、新政府軍は6,400ほど亡くなった未曾有の大内戦であった西南戦争。

西郷軍政府軍
兵力(人)約30,000名約90,000名
戦死者(人)約6,800名約6,400名
西南戦争の兵力と戦死者数

圧倒的な物量を有し、3倍ほどの兵力を持った政府軍に対して、西郷軍はかなり善戦しました。

薩摩武士の
誇りを見せつけよ!

さすがに「最強藩士」と言われた薩摩藩士たちは、刀を持たせては日本最強でした。

おそらく、白兵戦では当時「世界最強」だった薩摩藩士たちでしたが、徐々に押されてしまいました。

・・・・・

武器弾薬などが圧倒的に新政府軍が上手であったため、西郷軍は敗北し、敗走を続けました。

「九州全土で戦った」と言っても過言ではない西郷軍は、最後には故郷の鹿児島へ戻ります。

我が薩摩に、鹿児島に
戻ったぞ!

そして、鹿児島中央付近の城山に篭って、「最後の決戦」を挑みました。

ダダダダッ!

ダダダダッ!

もう、
ここらでよか・・・

西郷は自刃して、「士族の反乱」にピリオドが打たれました。

未曾有の数の戦死者が出た戦争では、未曾有の数の負傷者が出ました。

こ、
これは・・・

大阪の臨時病院で、西南戦争の多数の負傷者を助けた後藤。

お願いです!
助けてください!

これは、
戦場だ・・・

若いながらも大いに治療に励んだ後藤新平青年は、治療しながら色々と考えました。

そして、仕事に一区切りして愛知県立病院へ戻ってきます。

大阪では
大変な経験をした!

病気は、
予防しなければならない!

後藤は周囲の同僚医師たちに熱く語ります。

病気になってから治す、のとは
別に対処が必要だ!

ふ〜ん・・・
まあ・・・

まあ、
そうかもね・・・

ところが、同僚の医師たちは日々の業務が手一杯で、後藤の新たな知見に対して冷ややかです。

それは、仕方ない面もありました。

みんなで、
予防へ向けて努力しよう!

気持ちは
分かるよ・・・

でもさ、
なかなか・・・

なんで、みんな俺の話を
聞いてくれない!

当時、医学部が創設され始めて、現場の医師は西洋医学を吸収しました。

医療の現場に
対応するだけで精一杯!

実際には、医師たちは治療にあたるだけで精一杯だったのでした。

安場保和へ直談判:予防医学推進

安場 保和 愛知県令(Wikipedia)

こうなったら、
直談判だ!

そして、後藤は愛知県令となっていた安場 保和に、直に献策にゆきます。

後藤にとって、いわば恩人でもある安場。

嬉しそうに後藤の献策を聞きます。

安場さん、
聞いて下さい!

あの暴れん坊が、
良い、立派な医師になった。

目を細めて、嬉しそうにする安場。

いやはや、
ここまで立派になるとはな・・・

予防は治療に
勝ります!

うんうん・・・
よく分かった!

君の言うことは
正論だろう・・・

なんとか、
予防体制の確立を!

この話は
極めて大事だ・・・

内務省衛生局で
提案してこい!

私が
話をつけておく。

東京へ
行ってこい!

有難う
御座います!

そして、後藤は東京へ向かいます。

内務省へ:長与専斎との出会い

新教育紀行
皇居(新教育紀行)

東京に着いた後藤。

そういえば、昔、「賊軍の子」とか
言われて・・・

癇癪起こして、
仙台に帰ったっけ・・・

懐かしい気持ちの後藤。

そして、内務省衛生局へ向かいます。

現代日本にはない内務省。

英国などでは今もある内務省は、外務省に対して国内に関する役所です。

当時の内務省は現代の総務省・厚生労働省・警視庁をまとめた巨大組織でした。

さらに、国交省・文科省の一部をも管理する巨大官庁だった内務省。

初代内務卿は「事実上の首相」大久保利通でした。

大久保利通 初代内務卿(国立国会図書館)

内務省衛生局へ向かった後藤を相手したのは、長与専斎局長でした。

長与 専斎衛生局長(Wikipedia)

適塾出身で非常に優れた医師だった長与専斎。

予防が
大事です!

そうだ!
確かに!

君の言わんとすることは、
よく分かる!

上下水道の整備など、
病原菌を絶つのです!

大変な費用がかかるが、
それを目指してやってみよう。

長与局長から、好感触を得た後藤。

ぜひ、予防に向けて、
政策を推進して下さい。

うむ・・・
分かった!

この後藤という青年は、
優れているな・・・

中央政府の医学の中心部である衛生局で、後藤の存在は大きく意識されるようになりました。

よし!

意気揚々とする後藤。

「する必要のないこと」であっても、後藤にとっては、

やらなければ、
気が済まん!

何事もやってみなければ
ならんのだ!

とにかく積極的な人物でした。

新教育紀行

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