前回は「後藤新平 16〜積極的に・予防・長与専斎・内務省〜」の話でした。

病院長へ
東京出張で内務省衛生局などで、予防学の大事さを説いて回った後藤青年。
後藤という男、
できるな。
あの積極性は、
なかなか持てない。
名声をあげた後藤は、順調に出世します。
そして、弱冠25歳にして愛知県病院長兼愛知県医学校長に就任します。
現代ならば、まだ医学生の年齢で病院長に就任という異例の早さ。
これは、当時西洋医学を学んだ若者が少なく、日本政府の西洋医学推進の影響が強かったのです。

そして、後藤を可愛がる安場愛知県令の意向もあったのでしょう。
政界の大物の治療
忙しい毎日を送る後藤の元に、夜中に電報が届きます。
岐阜で
板垣総理が負傷した!
大至急、治療に
きて欲しい!

征韓論争などで、西郷隆盛と共に下野した板垣退助。
自由党を結党して総理(党首)に就任して、自由民権運動を強力に推進していました。
そして、遊説中に刺客に刃物で攻撃された板垣は、

板垣死すとも、
自由は死せず!
と言ったという。(諸説あり)



板垣・・・



まさか!
後藤青年の脳裏に、幕末の出来事が思い起こされました。



あの乾退助か!
仙台藩などの奥羽列藩同盟を攻撃した張本人の乾(板垣)退助。



おのれ・・・



俺を賊軍にした
一派か・・・
ここで、賢明な後藤青年は、



医師として
最大限尽くす!
と懸命に板垣の治療にあたります。
板垣退助を治療
そして、



ご負傷ですか。
ご本望でしょう。
と板垣総理に苦言を呈します。
これが、後藤青年の「精一杯の復讐」でした。



ふん!
軽くあしらった板垣総理。



あいつは政治家向きだ。



医師にしておくのは
勿体無い。
これは、かなり肝が据わってないと出来ないことです。
政界の重鎮に「喧嘩を売る」だけでも大変なことです。
どこで、何を仕返しされるか分かりません。
さらに、元々土佐藩士を率いた板垣には、
命にかえても、
板垣先生を守る!
という方々もいたはずです。
そういう、武力に訴える方から狙われるかも知れません。



そんなこと
関係ない!
それでもなお、自らの思いを貫いた後藤青年。
後年、異常なまでの強気姿勢を貫いた後藤の姿勢は、すでに完成していました。