前回は「西郷隆盛 1〜個性と精神育んだ郷中教育〜」の話でした。

今回は、郷中教育と先輩・後輩の話です。
各藩と教育
徳川幕府が支配していたとは言え、各藩に強力な自治権が与えられていた幕藩体制の江戸時代。
現代と大きく異なり、日本は「各藩が別の国」のような状況だったのです。
各藩がそれぞれのカラーを持って、運営していた江戸時代。
教育のために、各藩は藩校(藩が設立・運営する学校)を整備していました。
そして、藩校を補佐する形式で、独自の教育組織や寺子屋がありました。
独自の教育組織で、最も有名なのは、吉田松陰が教えた「松下村塾」です。

西郷隆盛がいた薩摩藩は、藩校・造士館を江戸後期に設立しますが、研究所的性格を持った組織でした。
藩校の設立は、他の藩より少し遅れていたのです。
薩摩には、伝統的な郷中教育があり、6歳〜20歳までの教育機関が確立していたことが、大きな理由です。
郷中教育と子どもたち
二才・稚児に別れ、年齢が異なる子どもたちが皆一緒に、お互い切磋琢磨した郷中教育。
二才(にせ):元服(14~15歳)から20歳頃
稚児(ちご):6~8歳頃から元服まで(14歳頃)
郷中教育と藩校・寺子屋の大きな違いは、「先生がいない」ことです。
先輩が後輩を指導して、教えていたのです。
「先輩が先生」のようなもので、「先輩と後輩」には非常に厳格な上下関係がありました。
この意味では、「先生と生徒」と「先輩と後輩」の上下関係は似ている面がありますが、異なる面も多いでしょう。
西郷隆盛と大久保利通は、同じ郷中で小さな頃から、ずっと一緒だったのです。

6歳くらいから20歳くらいまで、ずっと一緒で家も近いため、共に貧しいながら、食事も共にすることもあった二人。
大人になった頃には、お互い「何を考えているのか」が「手に取るように分かる」仲だったでしょう。
先輩と後輩
「先輩が先生」にような関係だった、郷中教育。
先輩が、後輩を指導します。
西郷隆盛は、大久保利通よりも3歳上なので、西郷が大久保を教えたのでしょう。

3歳の違いは、「小学校3年生と小学校6年生」や「中学校1年生と高校1年生」の違いです。
これは、非常に大きな違いです。
幕末、同志のように描かれる西郷と大久保。
同志ですが、「先輩・後輩の上下関係」があったことは、大事なことです。
郷中教育において、先輩は後輩を教える過程で、自分の学びも進んだでしょう。
その意味では、郷中教育は、様々な理想的ポイントがあります。
「人に教える」まで行かなくても、「説明出来るか」は大事なポイントです。
ぜひ、学ぶ際は「この内容を、自分が説明するなら、どのように説明するか」を考えてみましょう。
「公式を考える・理解する」や「公式を説明する」ことも考えてみましょう。