前回は「後藤新平 1〜医師・政治家・人を残して死ぬのが上・児玉源太郎〜」の話でした。

今回は、後藤の若き日々を考えます。
生まれた時代と場所
1857年の幕末の風雲期に、仙台藩に誕生した後藤新平。
11歳の時の1868年に、明治維新となりました。
まさに「激動期」を、生きてゆくことになります。
今の小学校2〜3年生くらいになると、子どもなりに、色々なことが分かってきます。
その8~9歳頃は、江戸時代の封建制度にあり、仙台藩という大藩で育った後藤。
仙台藩って、
もしかして・・・
かの有名な伊達政宗が藩祖の、仙台藩です。

伊達政宗は、
好きだよ!
カッコ
いいわ!
「伊達男」の形容詞の語源になったと言われるほどの、伊達政宗。
小さな頃は、「仙台藩を背負う」気持ちでいた後藤新平の若き頃に、伊達政宗の存在は非常に大きかったでしょう。
伊達男の気概
「生まれるのが遅過ぎた」と言われる政宗。

能力的には、「織田信長・豊臣秀吉らと同等で、天才的だった」とも言われるほどの人物です。

しかし、遅過ぎた政宗は、奥羽で敵を次々に倒し、天下に覇を唱えます。

これからは
伊達の世だ!



もっと領土を
拡大するのだ!
ところが、その時、ある人物が「ほぼ全国を統一」していたのでした。


豊臣秀吉です。
政宗は、秀吉と一線交えようとも考えます。



ほぼ全国押さえた
豊臣に勝てるか・・・?



勝てる可能性は・・・
ない・・・
悩みに悩んだ挙句、秀吉に降参します。



当方に参陣したので、
命は取らぬが・・・



最近得た領土は、
召し上げじゃ!



一時は、200万石近い領土を有していたのに、
秀吉に取り上げられた!



おのれ・・・
その後、豊臣秀吉から徳川家康の時代となります。
それでもなお、伊達政宗は様々画策して、領土拡大を狙います。





政宗は能力が高すぎ、
野心が強すぎる・・・



早い話が、
危険すぎる・・・



気持ちは
分かるのだが・・・
上昇志向が非常に強い人物で、家康らには常に警戒されます。



もう少し
早く産まれていたら・・・



そして、
もう少し中央に産まれていたら・・・



伊達幕府も
夢ではなかった・・・
この後、時代は伊達政宗の大きな出番のないまま進んでゆきます。
ありあまる能力を持つ伊達政宗にとっては、消化不良のような感じにも感じたかもしれません。
仙台藩と後藤新平
江戸時代は300程の藩があり、それぞれが「違う国」とも言えるほど、カラーが強い時代でした。
中でも、藩祖(初代藩主)は戦国期を生き抜いた方が多く、藩祖の影響は非常に大きかったのです。
小さな頃から藩祖・伊達政宗の話を聞いていたに違いない、後藤新平。



俺も伊達政宗の
ようになってやる!
と、大志を抱いていたかもしれません。
のちに大人物となり「大風呂敷」とも言われた後藤新平。
大人物で「大風呂敷」であった、伊達政宗からの影響も大きかったでしょう。