後藤新平 3〜強き意気〜|仙台から

前回は「後藤新平 2〜幼き頃に感じたこと〜」の話でした。

後藤 新平(Wikipedia)
目次

強気の源泉

後に外務大臣・内務大臣・満鉄総裁・東京市長(都知事)を歴任した大政治家、後藤新平。

関東大震災の帝都復興計画の際には、あまりに巨大な計画のために「大風呂敷」と言われます。

さらに、満鉄総裁時などには、人事などで強権を振るい、反対論者を黙らせた後藤。

俺は、最高意思決定者なのだ!

非常に個性的で、見方によっては「我を通す」人物でした。

おそらく、幼い頃から、かなり強気の人物だったのでしょう。

伊達 政宗(Wikipedia)

出身藩仙台藩藩祖の伊達政宗と後藤新平。

共通項は多そうです。

本来、藩祖に対しては、非常に敬う姿勢が強く、「伊達政宗」と敬称で呼びます。

しかし、後藤のその後の人生を考えると、

俺も、伊達政宗のようになってやる!

くらいが、ちょうど良いでしょう。

共通項の多い、伊達政宗と後藤新平。

それは、後藤新平が「伊達政宗を意識した」結果なのでしょう。

仙台藩の立ち位置

各藩が、「国」のような存在だった江戸時代の幕藩体制。

幕末維新時の藩(「最後の藩主」監修 八幡和郎 光文社)

現代、私たちが「日本人」であることを意識するように、仙台藩出身の方は「私は仙台だ!」という思いがあったのです。

そして、当時は、藩が序列化され、徳川家以外には、御三家・御三卿という名家がいました。

薩摩藩・長州藩と同様に「外様藩」として、家格は高くないものの、仙台藩は62万石(表高)を誇ります。

62万石と言ったら、薩摩77万石に近いね。

かなり多いわね。

加賀102万石、薩摩77万石に次ぐ石高を持っていた仙台藩。

さらに、伊達政宗以来の熱心な開墾政策により、実高は優に100万石を超える生産力を持っていました。

すごい藩ね。

有名な「伊達」の名前に、日本全国で有数の強い力を持った家・藩が、仙台藩だったのです。

この意味においては、薩摩は別格としても、毛利・長州藩よりも「強い力を持っていた」とも言えます。

「東北随一」の仙台藩出身の後藤。

俺は、大仙台藩出身なのだ!

と幼き頃から、強い意気込みだったでしょう。

強き意気込み

こういう意気込みを持つことは、大事なのでしょう。

当時の日本人は、大抵の方は「自らの藩の意識」を非常に強く持っていました。

後藤の勝ち気な性格は、この背景があったのでしょう。

そして、「負けん気が非常に強い」性格で優秀だった後藤は、山口多聞と似ている面があります。

「名家・名藩」出身で、相応の気位を持ち、大いに意気込む後藤。

俺が、大仙台藩を背負ってゆくのだ!

そして、後藤の「強い負けん気」を更に育てたこと。

それは、仙台藩が「名家・名藩」ゆえに、幕末維新期に大きな役割を果たすからです。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次