前回は「アインシュタイン 11〜無国籍の少年〜」の話でした。

無国籍のユダヤ人・アインシュタイン少年
わずか16歳にして「ただ一つのドイツ国籍を放棄する」決断をしたアインシュタイン少年。
アインシュタインに関する本を数冊読みましたが、この点は割合軽く扱っています。
しかし、これほど重大な決断を若き時に実行したアインシュタイン少年の実行力は抜群です。

あのドイツの
怖い雰囲気は嫌だ・・・
ドイツの軍隊的な学校を辞めたアインシュタイン。
「辞めた」のではなく「辞めさせられた」という説もあります。
ユダヤ人であったアインシュタインは、差別を受けた事実もあったようです。
アインシュタイン少年がドイツを脱出した1894年の40年ほど後のドイツ。


1933年、ヒトラーがドイツ首相となり、権力を握るに至ります。
そして、ヒトラーがユダヤ人に対して行った、極めて非人道的で異常な事態。
ヒトラーの登場は、第一次世界大戦が決定的な影響を持ちます。
40年は長い時間ですが「それほど長くない」とも言えます。
のちにヒトラーが登場し、多くのドイツ国民が彼を熱狂的に支持した事実があります。
アインシュタインの頃も、ドイツには何らかの異様な雰囲気があったのかもしれません。
脱藩の立場





脱藩人
坂本龍馬です。





大英帝国の
Gloverです。
この頃、坂本龍馬は薩摩藩の庇護を受けていました。





坂本どんは
面白か人物ごわす。
薩英戦争後に大英帝国と仲良くしている薩摩藩。
そして、脱藩人でレッテルのない坂本龍馬は薩摩の力を借りて、会社「亀山社中」を興します。
「日本初の会社」とも言われますが、実態は薩摩藩の外郭組織・団体でした。



カンパニーを
作るぜよ!



大英帝国から武器や船を
買います!



Satsumaの
代理ですね。



OK!



たくさん武器を
売りましょう!
こうして、大英帝国から最新式の武器を大量に購入した龍馬の会社。
購入した費用は、もちろん薩摩持ちです。
その後の龍馬は、薩長同盟を仲介する有力者の一人となりました。(諸説あります)
私たちから見れば、「カッコいい!」坂本龍馬ですが、当人は



自由だ!



でも、誰も
守ってくれない・・・
内心不安だったに違いないでしょう。
土佐藩へ戻る龍馬





龍馬を
許してやってもらいたい。





龍馬?



奴は我が土佐藩を
脱藩した身ですぞ!



だから、(幕府高官の)私が
こうしてお願いしている。



ま、別に
拒否して頂いてもいいですが・・・



土佐藩が
徳川幕府を敵に回したいなら・・・



いえいえ!
滅相もありません!



龍馬の帰藩、
認めましょう。
脱藩後、勝海舟らの尽力により帰藩が叶えられた龍馬。
土佐藩との距離と運命
こうして晴れて「土佐藩という国籍」を取り戻した龍馬でしたが、



一度は
脱藩した身・・・



土佐藩邸には、
居ずらい・・・
京都における「現代の在外公館」とも言える土佐藩邸での滞在に遠慮があったのでしょう。
そして、大政奉還の最中、坂本龍馬は中岡慎太郎と共に暗殺されてしまいます。
龍馬の最後の住まい。
それは、土佐藩邸の目の前の近江屋でした。
この以前に寺田屋で幕吏に襲撃された龍馬は、高杉晋作からもらったピストルを撃って脱出に成功しました。





襲撃された時は、
寺田屋の時みたいに・・・



ピストル撃って脱出して、
土佐藩邸に逃げ込むぜよ。
龍馬は、こう考えていたでしょう。
まさに「道路隔てた目の前」に土佐藩邸があったのです。
暗殺の実行者は諸説ありますが、龍馬が土佐藩邸にいたら「暗殺は不可能」だったでしょう。
土佐藩邸には屈強な土佐藩士がたくさんおり、大変な外交問題に発展するからです。
「数人を暗殺する」のと「藩邸を攻撃する」のは全く次元が異なります。
もし、土佐藩邸に滞在する龍馬を暗殺しようとして、藩邸に乗り込もうものなら、
合戦だ!
我が土佐藩と
戦争だ!
「暗殺」が「合戦・戦争」に発展してしまい、尋常ならぬ非常事態になってしまいます。
自由を愛する
楽器と読書が大好きで、考えることが趣味のようなアインシュタイン少年。



ドイツ国籍を
手放すのは、勇気がいるけど・・・



あの軍国主義みたいな
雰囲気の国とは、距離を置きたい!
ちょっと、
アルバート!
両親共に止めたに違いないでしょう。
これほど大きな決断を独断で行い実行するのは、さすがに16歳では不可能です。
手続きには費用がかかるでしょうし、未成年者が「親に内緒」で出来ることでは決してありません。
アルバート、
後で後悔するぞ!
本当に
いいのか?
両親は念には念を入れて、「無国籍」となることを止めたでしょう。
しかし、



頑張って、
他の国の国籍を取るから!
まあ、
仕方ないか・・・
これほど重大なことを「認めた」両親は、よほど進歩的だったのか、あるいは何らかの意図があったのか。
それは、アインシュタインのその後の人生によって、大きく評価が別れる道だったでしょう。
いずれにしても、アインシュタイン少年は16歳にして、大変な決断をしました。