前回は「選択問題の解き方 2〜攻略法とコツ〜」でした。
開成中学校の2020年の社会第2問です。

次の問7を考えてみてください。

全国統一を果たした豊臣秀吉に関する話です。
今回は「正しいもの」です。
自分が確実に知っているものがあったら、それを答えて、とりあえず次に進みましょう。
まず、アは全体的な内容は正しいですが、地名が引っかかります。
安土を本拠としたのは、全国統一間近であった織田信長です。
そして、秀吉が本拠地としたのは大坂(明治維新まで大阪は大坂と表記)ですね。
「秀吉→大坂」はご存知の方が多いかと思いますが、仮に△としましょう。
イは秀吉の太閤検地の話です。
「地域によって異なる」に注意しましょう。
これは、わざわざ全国的な検地をしたのですから「異なるはずはない」のでxです。
また、「地域によって異なる」が「具体的にどう異なるのか」が判然としません。
「同一であった地域もあったかもしれない」のでxです。

ウは少し細かいですね。秀吉は征夷大将軍ではなく関白となったのでxですが「征夷大将軍だったかも」と思ったら△です。
エも細かい知識です。
秀吉が全国統一して、家康の領地を関東へ移したことはご存知かもしれませんが、少し細かい知識ですね。
「北条氏」を知っているかどうか、ですが全体的な流れは正しそうです。

上記の感じになります。
答えはエとなります。
知っているのが望ましいですが、歴史に関しては余程得意な方でも「知らないこと」が当日出る可能性は、かなり高いです。
もし、過去問をやっていて
あっ、知らなかった!
という問題に出会ったら、ガッカリせずに下記のように考えましょう。
1.「本番ではないので、良かった」と、解答の説明を読んで知識を増やす。
2.合理的に考えて、「確実」ではなくても正答率を上げるように考えてみる。
「全部暗記しなければ!」と考えると大変です。
「知識を増やそう!」と前向きになってみましょう。
「暗記量が多い」よりも「知識が多い」方がスマートな感じがします。
「知らないこと」「あやふやなこと」に当日出会っても、慌てずに「答えを絞っていけないか」考えてみましょう。
「なんとか思い出そう!」と思っても、時間制限があり緊張しているなか、思い出すのは大変だと思います。
少しずつ、知識量を増やしながら、上記のような戦略的解法も試してみてください。
歴史的なことの補足です。
アで秀吉→大坂ですが、漢字に注目して下さい。
今は「大阪」ですね。編が異なります。
江戸時代まで、大阪は大坂と記載しました。
明治維新の際、各地で士族による反乱が多発しました。
萩の乱、神風連の乱、佐賀の乱・・・
これら以外の小さな反乱は各地で勃発していました。
士族の扱いに苦労した明治新政府。
当時も今も、重要な都市である大坂の「坂」の編が「士」では「縁起が良くない」と考えて今の「阪」に変更したのです。
また、大坂への拠点移動は秀吉の前に「信長が考えていたこと」という説があります。

ウに関して、秀吉は実は征夷大将軍になることを目論んで、前将軍の足利義昭にお願いしていますが、あっさり断られて「仕方なく」関白となる道を選びました。

本当は武家の棟梁になりたい!
足利義昭さん、僕を形式上、猶子にして下さい。



そうしたら、征夷大将軍になれます。
お金なら、いくらでも差し上げるので、
お願いします!



嫌だね。
大体、お前は私を追い出した憎き織田信長の配下で、
私を長年攻めたではないか!



形式上とはいえ、足利の家をお前なんかに
継がせる気は毛頭ないわ!



仕方ない。
武家の棟梁=征夷大将軍は諦めよう。



その代わり、公家の頂点となってやる!
新しい名前「豊臣」を名乗って、君臨してやるぞ!
出自が低い秀吉としては、やはり「武士の頂点」になることを望んだのでしょう。
エに関しては、徳川家康の出身が三河という現在の愛知県東部です。
秀吉が全国統一した際、家康は三河・遠江・駿河・甲斐・信濃周辺を領していました。
現在の中部・甲信地方です。
先祖代々の土地を領し、地元に密着して強固な地盤を築いていた家康。
当時中央であった「京都・大坂」にも遠くはない位置にある家康が邪魔だったので、北条氏を滅した「ついで」に秀吉が「恩賞」の名目で、家康を関東地方へ移動させました。



家康さん!
長年のご褒美差し上げます。
150万石から250万石に大加増です!



喜んでください!
拠点は北条家の小田原ではなく、江戸が良いでしょう!



京都にも程近く、長年の結びつきが強い三河・遠江から、
家康を端の方の関東に追いやってくれるわ。
これで、豊臣の天下は安泰よ。





有り難き幸せにござる!



くっそ〜、なにが「ご褒美」だ。
住み慣れた浜松、小京都とも言われる文化豊かな駿河を追われて、
草ボーボーのド田舎の江戸か。
今に見ておれ!



まあ、良いわ。
あそこは湿地が多いが、平地広がり、屈強な武士が沢山いるから、
徳川の力で発展させてみせる!
もし、秀吉がこの時「嫌がらせのように」家康を関東へ移封(領土の移動)しなかったら、どうなっていたでしょうか。
家康が後に天下統一した時、日本の首都は今の東京ではなく、愛知県周辺になっていたかもしれません。
とすると、今の「日本の国のかたち」は秀吉の深謀遠慮というか、ほぼ気まぐれで決まったとも言えなくもないのです。
こういう話も参考に、ぜひ歴史に興味を持って下さい。