選択・暗記問題の解き方・コツ・ポイント 3〜丸暗記ではなく暗記問題を「考える」姿勢・歴史の出来事の意味を考える・豊臣秀吉の太閤検地・征夷大将軍と関白の違い・暗記と戦略的解法・大阪と大坂〜|中学受験・開成中・社会

前回は「選択・暗記問題の解き方・コツ・ポイント 2〜「正しいもの」と「誤っているもの」のチェック・問題の鍵を探す姿勢・歴史上の事柄で「完全否定」はバツ・問題を解いて少しずつ暗記を増やす方法〜」の話でした。

目次

丸暗記ではなく暗記問題を「考える」姿勢

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開成中学校の2020年の社会第2問です。

次の問7を考えてみてください。

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全国統一を果たした、豊臣秀吉に関する話です。

今回は「正しいもの」です。

自分が確実に知っているものがあったら、

これだっ!

それを答えて、とりあえず次に進みましょう。

まず、アは全体的な内容は正しいですが、地名が引っかかります。

戦国大名 織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

安土を本拠としたのは、全国統一間近であった織田信長です。

豪華壮麗であった安土城は、「本能寺の変」の際に消失してしまいました。

そして、秀吉が本拠地としたのは大坂(明治維新まで大は大と表記)です。

「秀吉→大坂」は、ご存知の方が多いかと思いますが、仮に△としましょう。

歴史の出来事の意味を考える:豊臣秀吉の太閤検地

太閤 豊臣秀吉(Wikipedia)

イは、秀吉の太閤検地の話です。

「地域によって異なる」に注意しましょう。

日本全国の
国々の米の生産高を測るのだ!

これは「わざわざ全国的な検地をした」のですから「異なるはずはない」のでxです。

統一した尺度と基準で
新たな豊臣の時代を!

また、「地域によって異なる」が「具体的に、どう異なるのか」が判然としません。

「同一であった地域もあったかもしれない」のでxです。

このような暗記問題は、「ただ暗記」ではなく、「内容を考えてみる」ことも大事です。

ところで、太閤検地をした理由はなんでしょうか?

「太閤検地」と言う
出来事は暗記したけど・・・

なぜ、実施したか、
は考えたことはない・・・

検地とは「土査」することです。

何のために土地を検査したのか考えてみましょう。

現在と違って、当時は税金は全てお米(年貢)でした。

税金をはっきりさせることは国家運営上、最重要です。

国家のトップ・為政者は、基本的に「不必要なことはしない」です。

「出来事と実施した人物を考える」と理解力が上がり、暗記も進むでしょう。

「太閤検地」実施の理由

・各国々の米の生産高・生産量を知るため:年貢・軍役を確定させる

・各国々でバラバラだった単位を統一するため:全国統一した成果を広める

征夷大将軍と関白の違い

戦国大名 徳川 家康(Wikipedia)

ウは少し細かいです。

秀吉は征夷大将軍ではなく関白となったのでxです。

秀吉は征夷大将軍?
太閤・関白だった気がする・・・

「征夷大将軍だったかも」と思ったら△です。

征夷大将軍に
なりたい・・・

秀吉は本当は「武家の長」である征夷大将軍になりたかったのですが、「なれなかった」のでした。

エも細かい知識です。

秀吉が全国統一して、家康の領地を関東へ移したことはご存知かもしれませんが、少し細かい知識です。

「北条氏」を知っているかどうか、ですが全体的な流れは正しそうです。

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上記の感じになります。

答えはとなります。

暗記と戦略的解法:大阪と大坂

左上から時計回りに戦国大名・天下人 織田信長、豊臣秀吉、北条氏政、徳川家康(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

知っているのが望ましいですが、歴史に関しては「細かな知識まで全て暗記」は難しいです。

歴史が得意な方でも「知らないこと」が当日出る可能性は、高いです。

もし、過去問をやっていて

あっ、
知らなかった!

という問題に出会ったら、ガッカリせずに下記のように考えましょう。

過去問の暗記問題

1.「本番ではないので、良かった」と、解答の説明を読んで知識を増やす

2. 合理的に考えて、出来るだけ正答率を上げるように考えてみる

全部
暗記しなければ!

と、考えると大変です。

知識を
増やそう!

と、前向きになってみましょう。

「暗記量が多い」よりも「知識が多い」方がスマートな感じがします。

「知らないこと」「あやふやなこと」に試験で出会っても、慌てないようにしましょう。

そして、

答えを
絞っていけないか・・・

と考えてみましょう。

こういう時に、

なんとか
思い出そう!

と思っても、「知らないこと」は「思い出せない」のです。

また、知っていても、

あっ、うっかり
忘れた・・・

時間制限があり緊張しているなか、思い出すのは大変だと思います。

少しずつ知識量を増やしながら、上記のような戦略的解法も試してみてください。

大阪城(新教育紀行)

歴史的なことの補足です。

アで秀吉→大坂ですが、漢字に注目して下さい。

今は「大阪」です。

阪の字の編が異なります。

江戸時代まで、大は大と記載しました。

明治維新の際、各地で士族による反乱が多発しました。

萩の乱、神風連の乱、佐賀の乱・・・

これら以外の小さな反乱は各地で勃発していました。

士族の扱いに、とても苦労した明治新政府。

当時も今も、重要な都市である大坂の「」の編が「士」。

これでは「縁起が良くない」と考えて今の「」に変更したのです。

また、大坂への拠点移動は秀吉の前に「信長が考えていたこと」という説があります。

本能寺の変(Wikipedia)

ウに関して、当時の話です。

明智光秀を倒して、「天下人へ一直線」だった羽柴(豊臣)秀吉。

まだ、豊臣秀吉ではなく「羽柴」秀吉でした。

秀吉は、征夷大将軍になることを目論みました。

そして、追放されたものの現将軍だった足利義昭にお願いしています。

本当は武家の棟梁になりたい!
足利義昭さん、僕を形式上、猶子にして下さい。

そうしたら、
征夷大将軍になれます。

お金なら、いくらでも差し上げるので、
お願いします!

室町幕府第十五代将軍:足利義昭(Wikipedia)

ダメ!
絶対嫌だ!

大体、お前は私を追い出した憎き織田信長の配下で、
私を長年、攻めたではないか!

形式上とはいえ、足利の家をお前なんかに
継がせる気は毛頭ないわ!

しかも、
お前は氏素性が定かですらない立場・・・

絶対に嫌だ!
断る!

あっさり断られた秀吉。

仕方ない。
武家の棟梁=征夷大将軍は諦めよう・・・

「仕方なく」関白となる道を選びました。

その代わり、公家の頂点となってやる!
新しい名前「豊臣」を名乗って、君臨してやるぞ!

出自が低い秀吉としては、やはり「武士の頂点」になることを望んだのでしょう。

エに関しては、徳川家康の出身が三河という現在の愛知県東部です。

秀吉が全国統一した際、家康は三河・遠江・駿河・甲斐・信濃周辺を領していました。

現在の中部・甲信地方です。

先祖代々の土地を領し、地元に密着して強固な地盤を築いていた家康。

当時中央であった「京都・大坂」にも遠くはない位置にある家康が邪魔だった秀吉。

北条氏を滅した「ついで」に「恩賞」の名目で、家康を関東地方へ移動させました。

家康さん!
長年のご褒美差し上げます。
150万石から250万石に大加増です!

はっ?
いえ・・・

喜んでください!
拠点は北条家の小田原ではなく、江戸が良いでしょう!

徳川を関東の
端っこに追いやりたいんだな・・・

京都にも程近く、長年の結びつきが強い三河・遠江から、
家康を端の方の関東に追いやってくれるわ。
これで、豊臣の天下は安泰よ。

有り難き
幸せにござる!

くっそ〜、なにが「ご褒美」だ。
住み慣れた浜松、小京都とも言われる文化豊かな駿河を追われて・・・

草ボーボーのド田舎の江戸か。
今に見ておれ!

まあ、良いわ。
あそこは湿地が多いが、屈強な武士が沢山いるから、
徳川の力で発展させてみせる!

もし、秀吉がこの時「嫌がらせのように」家康を関東へ移封(領土の移動)しなかったら。

日本の東京などの、国の形は変わっていたかもしれません。

家康が後に天下統一した時、日本の首都は今の東京ではなく、愛知県周辺になっていたかもしれません。

今の「東京中心」という日本の国・国家のかたち。

この「日本のかたち」は、秀吉の深謀遠慮というより「気まぐれで決まった」とも言えなくもないのです。

こういう話も参考に、ぜひ歴史に興味を持って下さい。

新教育紀行

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