「合格できる」と思う強い気持ち〜世阿弥「初心を貫く」・初心忘るべからず・挫折をよしとする気持ち・西郷隆盛の二度の島流し・志望校合格への強い気持ち〜|中学受験・高校受験・大学受験

前回は「不安を落ち着いた気持ちへ〜岩倉具視「もう少しだけ耐えて飛翔」・鋼鉄の精神を持つ男・異常な迫力を持っていた岩倉具視・忍耐から生まれる力〜」でした。

目次

世阿弥「初心を貫く」:初心忘るべからず

新教育紀行
日の出:富士山(新教育紀行)

今回は世阿弥の言葉です。

世阿弥は、室町幕府の足利義満将軍の頃に活躍しました。

そして、能の奥義をまとめた「風姿花伝」を著したのです。

能は日本の伝統芸能の非常に重要な一つです。

世界に対して日本の文化を発信するにあたり、世阿弥の功績は計り知れないものがあります。

世阿弥は、こう言っています。

ただ、返すがえす
初心忘るべからず!

世阿弥の言葉

ただ、返すがえす、初心忘るべからず!

挫折をよしとする気持ち:西郷隆盛の二度の島流し

新教育紀行
公園の桜(新教育紀行)

世阿弥に様に、文化を芸術の高みにまで昇華させる人物でも、

なかなか、
上手くいかない・・・・

どうしても
思っていた方向と違う・・・

悩んだ時期があったはずです。

それでも世阿弥は、

自分の初心を
忘れないで、とことん貫いてゆこう!

と考えて、大変大きな足跡を残しました。

この世阿弥の「成し遂げたこと」は、世阿弥自身が持って生まれた能力によることも大きいでしょう。

「持って生まれた能力」をどのような方向に持っていくかで、人生は全く異なった結果になります。

私は、この道を
選んだのだから、これを貫こう!

誰しも「挫折しかける」時は必ずあるものです。

むしろ「挫折したことがない」方は、意外と大成しないものです。

新教育紀行
参議・陸軍元帥・近衛都督 西郷隆盛(国立国会図書館)

薩摩藩士の下級藩士出身の立場ながら、明治維新の原動力の最も大きな一人となった西郷隆盛。

おいどんは、
二度も島流しになったごわす!

西郷隆盛の島流し

一度目:1859年2月から1862年2月の三年程:奄美大島

二度目:1862年7月から1864年2月の一年半程:沖永良部島

合計四年半ほどの「あまりにも長い時間」を島流しで過ごした西郷。

島流しの経験は一度で十分ですが、二度も島流しにあった西郷。

これは、「幕末の時代」だから起きた事態でしたが、西郷の性格にも多大な問題がありました。

皆が、鹿児島や江戸・京で
活躍しているのに・・・

おいどんは、
ここで人生を過ごすのか・・・

特に二度目の沖永良部島への島流しは、壮年時代の一年半にも及び、本当に死にかけた西郷。

島津国父 島津久光(斉彬の異母弟)(国立国会図書館)

わざわざ藩主である島津久光に、

あなたは地ゴロ(田舎者)ですから、
大したことは出来ません・・・

と喧嘩を売った西郷隆盛。

封建時代は、現代では考えられないほど藩主(国父であった久光は事実上)は強権を持っていました。

こ、
こやつ・・・・・

藩主が、

お前は
切腹!

と決定すれば、脱藩でもしない限りは「切腹しなければならない」異常な世界です。

挙げ句の果てに、久光との約束を違えた(諸説あり)西郷は、

もうお前は
さらに遠くへ島流し!

であり、島津久光としては、

切腹させたいが、
過酷な環境に追い込み、死ぬのを待とう・・・

という本心があったでしょう。

九州・鹿児島とは全く異なる、熱帯地方の島で「吹きさらし」の牢屋に入れられた西郷は、

こ、これは・・・
本当に死んでしまう・・・

本当に死を感じるほどの環境に一度は追い込まれました。

おいどんは、
ここで朽ち果てるか・・・

月照との自殺未遂もあり、少なくとも二度「明確に死にかけた」経験を持っていた西郷。

幕末の武士は「死と隣り合わせ」の経験を持つ人物が多数いた時代です。

ところが、「死と隣り合わせ」と「本当に死にかける」ことは全く異なります。

おいどんは、
何度も死にかけたごわす・・・

この異常な経験が、「西郷隆盛を西郷隆盛ならしめた」と言えるでしょう。

もし、「島流しが一度もなかったら」と仮定した時。

幕末の西郷隆盛の「超人的な活動」は、なかったでしょう。

この意味では、「挫折もまたよし」と考えることが大事です。

この「死ぬほどの挫折」まで経験する必要はないとしても、「ある程度の挫折」は人を強くします。

「合格できる」と思う強い気持ち

新教育紀行
武蔵中学・高校のかつての校舎(新教育紀行)

受験生の方々にも、ぜひ「初心忘るべからず」当日まで過ごして欲しいと思います。

西郷のように、

何度も死にかけた
ごわす・・・

四年半ほども
島流しになったごわす・・・

という方もいます。

「時代が違う」ので西郷のこの挫折は現代日本では、経験することは出来ないです。

模試の成績が
思ったより良くなくて・・・

合格判定が
下がっちゃった・・・

これらの「模試の成績」や「合格判定」は、受験生にとっては非常に大事です。

ところが、最終的には「合格できれば、どうでも良いこと」でもあります。

模試の
成績が・・・

と悩むことは、のちに「どうでも良いこと」を悩んでいるかもしれません。

それよりは、

模試の経験を
活かそう!

と考えることが遥かに大事なことです。

ここまでやってきたのです。

もう少し「初心」を固く守って、日々過ごしましょう。

少しでも学力を高めて、健康に過ごして試験当日へ向かってゆきましょう。

そして合格を勝ち取りましょう。

新教育紀行

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