不安を落ち着いた気持ちへ・不安を解消〜岩倉具視「もう少しだけ耐えて、飛翔」・鋼鉄の精神〜|中学受験・高校受験・大学受験

前回は「不安な気持ちを解消して、平穏な気持ちへ〜新渡戸稲造「もう一踏ん張り」〜」の話でした。

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鋼鉄の精神を持つ男

岩倉 具視(Wikipedia)

今回は、岩倉具視です。

寒くなりましたから、健康第一で入試当日まで頑張りましょう。

明治維新を成し遂げた一人、岩倉具視は大変なやり手の人物です。

「鋼鉄の精神を持つ男」と言われた岩倉。

俺が、
「錦の御旗」を作らせたのだ!

明治維新の際には、猛烈な強引さで官軍・新政府軍を引っ張りました。

ちょっと強引なところが多いですが、変革期にはああいう人物が必要なのでしょう。

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岩倉使節団(Wikipedia)岩倉具視は中央

この写真を見ると、岩倉独特の超ド迫力が写真越しに伝わってくるかの如くです。

内務卿となって官僚達から恐れられた大久保利通(右端)すら岩倉に比べると、少し迫力不足にすら感じられます。

大久保 利通(国立国会図書館)

大久保はその極めて優れた頭脳と、静かな迫力で明治新政府をグイグイ引っ張ってゆきました。

廊下で「コンコン」と大久保らしき人物の靴音が聞こえた時。

官僚たちは「皆緊張して、静まってシーンとした」という逸話があるほどです。

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忍耐から生まれる力

岩倉は、こんなことを言っています。

時日と忍耐とは、
桑葉をして絨毯に変ぜし。

岩倉のド迫力は、生まれながらのこともあるでしょう。

それもありますが、彼のど迫力・鋼鉄の精神は、彼が「大きな挫折を経験したこと」も大きな理由です。

公家の中で異例のやり手だった岩倉は、政争にやぶれて一時は政治生命が絶たれて、40前後の5年ほど蟄居されられます。

いわば、「一番脂の乗った良い時期」に、「一度は消された」存在だった岩倉。

そこから復活して、新政府の中心人物となったのです。

一時は失脚・島流しになった西郷隆盛とも似ている部分があり、「明治新政府2大ド迫力男」と呼んでもよいでしょう。

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西郷隆盛(国立国会図書館)

子ども親も、今少し忍耐が必要な時です。

もうすぐその忍耐が「合格」という大いなる結果に結びつき、長い目では、子どもの大きな成長の一つになるでしょう。

岩倉ほどの「鋼鉄の精神」を持つのは難しくても、「頑丈な精神」を持ちましょう。

もう少しだけ頑張って、合格を勝ち取りましょう。

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