前回は「江戸から東京へ 4〜江戸の行方・豊臣秀吉と後北条家・後北条家の領土〜」の話でした。
秀吉の深謀

北条家を叩き潰すことを決意した秀吉。

北条家の旧領土は、
家康に任せよう!
と思いつきます。
当時、北条と戦う前から「豊臣秀吉の天下」は確定していました。


悩みに悩んだ政宗もまた、秀吉の軍門に降ります。



すみません・・・
信長の跡を継いで、天下統一を成し遂げた秀吉。
ただし、秀吉の死後は、どうなるか分かりません。



信長様の死後、
私は織田家を乗っ取った。
本能寺の変で信長が横死し、明智光秀を討った秀吉。
信長の長男・織田信忠も自害していましたが、次男・信雄、三男・信孝がいました。
ところが、秀吉は巧みに彼らを排除して、天下を手にしたのです。



私の死後・・・



豊臣家を潰しにかかる可能性が
あるのは、ただ一人・・・





徳川家康
のみだ!
秀吉の思惑
後に、「信長・秀吉・家康と同等の能力」を有すると評価される伊達政宗。


まだ23歳の伊達政宗の能力は、まだ「未知数」でした。
そのため、当時はそれほど重視されていませんでした。



家康を、馴染みのある
地域から移動させよう。



家康の地盤を、
無くしてしまおう。



さすれば、徳川家の力は
大きく減退する!





徳川殿!



なんでしょう?



徳川殿は、今回大変良く
働いてくれました。



褒美に、北条の領土だった
関東を差し上げましょう!


家康は、秀吉の魂胆を見抜きます。



なんだと?



徳川家を、由来ある
遠江・三河から移動させるつもりだな。



いえいえ。
私など、何もしてませんから。
実際、徳川軍は北条攻めにおいて、大した働きをしていません。
秀吉と家康の「戦い」



謙遜
されますな!



徳川殿あって、
我が豊臣の天下が定まったのです。



いえいえ。



秀吉殿の家臣に、
差し上げるのが良いでしょう。



徳川殿。
100万石アップですぞ!



150万石から
250万石!



確かに、
石高は大きくアップする。



だが、商業は小京都とも言われる
駿河の方が遥かに良い。



しかも、
浜松の方が、港も栄えている。
江戸時代には「水の都」と呼ばれる江戸は、港としても後進地域でした。
「港としてのレベル」というより、経済圏が「京都中心」だったのです。



今の領土の方が、
遥かに良い。



というか、私は出身地の三河が、
大好きなのだ!



関東へ移封させられるのは、
なんとしても避けねば!



我が家臣たちにも、
言い訳が立たない!



私ごときに、
もったいないです!
必死に抵抗する家康。
当時、北海道は蝦夷と呼ばれ、「遠い存在」でした。
京・山城や摂津に近い四国の阿波(徳島県)・讃岐(香川県)は、関東よりも進んでいたのです。
京・山城を中心とした「先進地域」から、いわば「圏外」であった関東と江戸。


当時の関東・江戸は、京など上方よりも「遥かに見劣りする地域」だったのでした。