当時は「端っこ」の田舎だった関東の江戸〜抵抗する家康:駿河・遠江・三河・甲斐・信濃を死守へ・執着する秀吉・豊臣家より石高が大きい徳川家〜|江戸から東京へ6・戦国時代の終焉

前回は「京よりも遥かに劣った田舎の江戸〜秀吉の深謀・北条家の大領土を任せうるただ一人の人物・秀吉の思惑・徳川家を縁ある三河と遠江から引き離す戦略・秀吉と家康の心理戦〜」の話でした。

目次

抵抗する家康:駿河・遠江・三河・甲斐・信濃を死守へ

天下人 豊臣秀吉(Wikipedia)

関東の北条家を叩き潰せば、豊臣秀吉の天下統一が完了します。

ちょうど良い・・・
家康を京に近く、縁ある地から移動させてしまおう!

秀吉は、家康を現在の駿河・遠江・三河・甲斐・信濃の五カ国から移動させることを思いつきました。

250万石というと、
かなりの生産力だが・・・

家康が京からそれほど遠くはない、
信濃や三河で勢力を張っているのが目障りだ・・・

家康を関東に追い込んでしまえば、
徳川家の力は減退するだろう・・・

こう考えた秀吉は、家康に対して、

徳川殿は、今回大変良く
働いてくれました。

褒美に、北条の領土だった
関東を差し上げましょう!

「ご褒美」として、北条家の領土を上げようとします。

戦国大名 徳川家康(Wikipedia)

ちょっと待て!
関東へ移動ってことは・・・

現在の駿河・遠江・三河・甲斐・信濃は
当然没収だ・・・

冗談じゃないぞ!
そんなの受けられるか!

現代の感覚とは全然異なり、「関東は田舎」だったのでした。

なんとしても、
関東へ移動させられるのは絶対に避けねば!

徳川家の未来が、
掛かっている!

ここが
正念場だ!

とばかりに、秀吉に一生懸命「断り」の理由を述べる家康。

家康殿。
関東も良いところですぞ。

そうですね。
穀倉地帯ですから、秀吉殿の子飼いの家臣はいかがですか?

いやいや。
まだ若造たちで、関東を納めるのは無理ですよ。

関東は昔から「坂東武士」とも呼ばれ、独立心旺盛で強い武士が多かったのです。

執着する秀吉:豊臣家より石高が大きい徳川家

新教育紀行
関東地方の水運(新教育紀行)

ここは、家康殿ほどの実力者で
なければ、到底納められません。

いかがかな。
100万石アップの大加増ですぞ。

いえいえ。
私ごときにもったいない・・・

このあたりで、かなり苛立ち始める秀吉。

徳川殿!

秀吉の瞳が、きらりと光ります。

これ以上、断るのは
無理だ・・・

下手したら、もっと無理難題を
突きつけてくるかもしれん・・・

はい・・・
分かりました・・・

加増を有難く、
頂戴致します・・・

はっはっは!
良かったですのう!

ご機嫌となる秀吉。

住み慣れた
浜松から草ボウボウの関東か・・・

江戸時代までの関東地方の国々

相模・伊豆・武蔵を全土、上野・下野・上総・下総・安房を部分的に支配下に置いていた北条家。

この領土が丸ごと徳川家のものとなります。

戦国期の国別石高(歴史群像シリーズ 1 織田信長 学研)

豊臣家の直轄領は
220万石ほどですから・・・

徳川殿の255万石の方が、
我が豊臣より多いですな。

我が国最大の
領地を持つのは、徳川殿!

さすがは、
徳川殿!

ははっ、
いえいえ・・・

これは事実でした。

天下統一の過程で、諸大名に気前よく領地を渡し、配下にしてきた秀吉。

石高としての領土は、豊臣家よりも徳川家の方が多くなりました。

お金を生む場所は、
全部、豊臣家のもの!

豊臣家の経済力は
莫大だ。

米は
お金で買える・・・

人も
お金で集まる・・・

お金を握っておけば、
豊臣家は安泰!

当時は「端っこ」の田舎だった関東の江戸

京都が中心・重心の日本列島(新教育紀行)

こうして、「100万石アップ」の「好条件」で、徳川家を中部地方から関東地方へ移動させた秀吉。

これで、徳川家は
端っこに追いやった!

豊臣家は
安泰だ!

現在の近畿地方が「日本の中心・重心」で、最先端で栄えていた当時。

関東は、日本の「端っこ」だったのでした。

拠点は、小田原から
変えた方が良いでしょう。

それまでは、鎌倉のある相模・小田原が、北条家の拠点でした。

「主人が変わる」過程では、「拠点を変えて、気持ちを変える」ことが多いです。

拠点は、
江戸はいかが?

事実上「秀吉の命令」です。

江戸?
どこだっけ・・・

そういえば、この間、北条討伐の際に、
ちょっと通ったけど・・・

江戸って、かなりの
ド田舎では・・・

はあ・・・
江戸かぁ・・・

がっかりする家康でした。

次回は上記リンクです。

新教育紀行

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