前回は「志望校合格へ〜合格をリアルにイメージ・「いつから」より大事なこと・強い気持ち・稲盛和夫のイメージ・クリアなイメージ・日本航空・京セラ〜」の話でした。
御三家とは?:徳川御三家
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今回は、御三家の話です。
中学受験において、男子御三家・女子御三家とよばれる中学校があります。
この「御三家」という言葉の由来は、江戸・徳川時代の「徳川御三家」です。
「徳川御三家」は、徳川幕府の時代に諸大名の中で別格とされた、紀伊・尾張・水戸藩のことです。
これらの御三家や幕末に藩主・松平容保が活躍する会津藩などは、徳川本家・宗家と同じ家紋でした。
「徳川本家に並ぶ存在」であり、親藩大名とよばれた本家以外の各地の徳川家。
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歴史的な話も非常に面白いのですが、歴史の話は別の機会にご紹介します。
最近は少なくなってきましたが、高度成長期には歌謡曲などで「御三家」という言葉が盛んに使われた歴史があります。
男子御三家:いつから使われた名称なのか
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今回は、いわゆる「男子御三家」の話です。
歴史的な事をご存知の方も、そうでない方も、「御三家」と言葉にはある種の「特別感」を感じます。
「御」という言葉が、日本人にとっては「特別な意味」を持ち、高貴な雰囲気があります。
開成・麻布・武蔵を男子御三家と呼ぶ風潮は、日本が高度成長期だった1960年代後半とみられます。
戦後20年が経過し、日本全体が復興・発展し続けて、東京オリンピックが1964年に開催されました。
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そして、1970年には、当時大反響を呼んだ大阪万博が開催となります。
その頃、公立高校の学校群制度が導入され、私立中学・高校に注目が集まります。
現代日本とは、全く異なる戦後日本の世界。
戦後の日本は、「米国とは比較の対象にならない」程度のレベルでした。
その中、当時の日本人たちは、「国家国民・全力投球体制」で著しい復興・成長を遂げました。
そして、戦後20年以上経過した1960年代後半になると、
やはり、小さい頃から
学ぶ姿勢が大事だ・・・
我が子に
良い教育を受けさせたい・・・
余裕が生まれてきた各家庭では、「子どもをどう育てるか」を、より強く考えるようになってきました。
そして、日本経済の上昇に伴い、中学受験が活況となり、「御三家」が生まれたのでしょう。
戦前の「御三家」:一高(東大)合格者数
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戦後に出来た名門中学を指す「御三家」という言葉。
実は、この言葉は戦前にもありました。(Wikipedia)
戦前、現在の東大教養学部である一高(第一高等学校)が「頂点」であった時代がありました。
「一高」という言葉自体が、時代を感じさせます。
少し古めかしい言葉ですが、日本語のニュアンスとしては、分かりやすい言葉だと思います。
当時は公立が強かった時代で、一高合格者数が多かった一中(第一中学校)をまとめて「一中御三家」と呼んでいました。
そして、「官立・公立より私立」と考える富裕層を中心とする家庭が、私立中を目指していました。
戦前は、武蔵中は7年制高等学校だったため、この分類からは外れていました。
そのこともあり、戦前「私立御三家」は、開成・麻布・芝だったようです。
私立御三家:開成・麻布・芝
「公立より私立」と考える家庭は、私立中学の教育方針・カラーを重視していたのでしょう。
そして、戦後になって、学校制度の変更などもあり、現在の御三家に落ち着いたようです。
学校名 | 設立年 |
開成 | 1871年 |
麻布 | 1895年 |
芝 | 1887年(前身) |
これらの学校の設立年を比較すると、開成の1871年設立が目立ちます。
1868年の明治維新の3年後に設立というのは、尋常ならざる早さです。
偏差値・大学進学実績と学校生活
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江戸時代、各藩が設立した藩校に加え、1800年代には次々と塾が設立されました。
これらの藩校・塾の中には、現在の大学などの起源となっている組織も多いです。
現在、中学受験で志望校を選ぶ際に最も優先されがちなのは、「偏差値」と「大学進学実績」かもしれません。
1800年代に設立された開成・麻布・芝の戦前「私立御三家」。
中でも、開成は150年以上の歴史を持つ学校です。
その開成だからこそ、山口多聞提督・将軍のような、優れた軍人を輩出できたのでしょう。
「偏差値」と「大学進学実績」は、教育・状況次第で比較的流動的な要素です。
場合によっては、学校が塾の如く「試験・テスト強化」に走れば、上昇する可能性があります。
「教育」という名において、それをするかどうかは、各学校の教育理念によるでしょう。
一方で、各学校において「綿々と紡がれてきた歴史」は、簡単に獲得できるものではありません。
綿々と紡がれてきた歴史
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それは、ワインの製造にも似た面があるかもしれません。
ワインの原料となる葡萄の出来によって、大きく品質が変わるワイン。
葡萄の品質も大事ですが、ワインを育てる年数は非常に大事な要素です。
「偏差値」も「大学進学実績」も大変良い状況の、開成・麻布・芝の各学校。
あるいは、他の学校を志望とされる方は、ぜひその学校の歴史を含めて知っておくと良いでしょう。
「歴史の深み」は一朝一夕では絶対に得られるものではないでしょう。
そして、「歴史の深み」は各校の校風・カラー・教育理念と共に深く、深く学校生活に刻まれているでしょう。
「偏差値」や「大学進学実績」が気になるのは仕方ない面もあります。
時には、他のことも気にしてみましょう。
・校風、カラー、雰囲気
・教育理念
・歴史の深み
これらは、互いに独立するものではなく、互いに密接に影響し合っていると考えます。
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もちろん、子どもたちが過ごす校舎なども大事な要素ですが、上記の三つはより大事と考えます。
勉強、勉強で余裕がない受験生本人は、
とにかく、次の
模試で成績上げなきゃ!
もっと
理科を頑張らなきゃ!
となってしまいます。
親の方々は、目先の偏差値ばかりではなく、学校の本質を見ると良いでしょう。
うちの子には、
ぜひこの校風のA学校に行ってほしい!
うちの子には、
あの雰囲気と長い歴史を持つB中学に行かせたい!
そういう姿勢が、子ども本人の受験生活のモチベーションを上げ、合格につながると考えます。
次回は、「御三家とは」を考えます。
次回は下記リンクです。