前回は「大学受験と中学受験」の話でした。
今回は、御三家の話です。
「御三家」は、徳川幕府の時代に諸大名の中で別格とされた、紀伊・尾張・水戸藩のことです。
歴史的な話も非常に面白いのですが、歴史の話は別の機会にご紹介します。
今回は、いわゆる「男子御三家」の話です。
歴史的な事をご存知の方も、そうでない方も、「御三家」と言葉にはある種の「特別感」を感じます。
「御」という言葉が、日本人にとっては「特別な意味」を持ち、高貴な雰囲気があります。
開成・麻布・武蔵を男子御三家と呼ぶ風潮は、日本が高度成長期の1960年代後半とみられます。
戦後20年が経過し、日本全体が復興・発展し続けて、東京オリンピックが1964年に開催されました。
そして、1970年には、当時大反響を呼んだ大阪万博が開催となります。
その頃、公立高校の学校群制度が導入され、私立中学・高校に注目が集まります。
そして、日本経済の上昇に伴い、中学受験が活況となり、「御三家」が生まれたのでしょう。

戦後に出来た名門中学を指す、「御三家」という言葉は戦前にもありました。(Wikipedia)
戦前、現在の東大教養学部である一高(第一高等学校)が「頂点」であった時代がありました。
「一高」という言葉自体が、時代を感じさせますが、日本語のニュアンスとしては、分かりやすい言葉だと思います。
当時は公立が強かった時代で、一高合格者数が多かった一中をまとめて「一中御三家」と呼んでいました。
そして、「官立・公立より私立」と考える富裕層を中心とする家庭が、私立中を目指していました。
戦前は、武蔵中は7年制高等学校だったため、この分類からは外れていました。
そのこともあり、戦前「私立御三家」は、開成・麻布・芝だったようです。
「公立より私立」と考える家庭は、私立中学の教育方針・カラーを重視していたのでしょう。
そして、戦後になって、学校制度の変更などもあり、現在の御三家に落ち着いたようです。
次回は、「御三家とは」を考えます。