観察と記述問題に強くなるコツ〜気付いたことをハッキリ・江戸から東京への地形の変化・徳川家康が拠点にした頃の江戸・未開の地だった江戸・徳川幕府の大工事〜|中学受験・社会

前回は「記述問題を解くコツ・ポイント〜「鳴かぬなら・・・」の別の人物のイメージ・高杉晋作・シンプルに考えて自分の意見を明確に・当時の状況をイメージ〜」の話でした。

目次

徳川家康が拠点にした頃の江戸:未開の地だった江戸

1590年ごろの江戸(新教育紀行)

江戸に領地替えを秀吉から命令され、江戸に向かった徳川家康。

戦国大名 徳川 家康(Wikipedia)

信長がいた頃は、羽柴(豊臣)秀吉よりは遥かに格が上だったはずの家康。

織田殿と
二人三脚で時代を切り開いてきたが・・・

なんで、
秀吉の家臣に・・・

そして、最後は
関東か・・・

天下人 豊臣秀吉(Wikipedia)

拠点は、江戸は
いかが?

江戸?

そう。
江戸がいいですな!

住み慣れた浜松から、
草ボウボウの江戸か・・・

現代、世界に冠たる大都市東京は、1590年頃はただの寒村でした。

太田道灌によって「江戸城が築かれた」という歴史がありますが、それは軍事拠点的色彩が強かったのです。

そして、江戸城というよりは「江戸砦」に近いのが実態でした。

江戸から東京への地形の変化:徳川幕府の大工事

現代の東京(新教育紀行)

当時の江戸は、現代の東京とは大分異なる地形でした。

当時の地形は「文献などを元にした推測」となり、江戸城の東の方は不明瞭な点があります。

ただし、江戸城周辺に関しては当時の状況が「概ね分かっている」と考えられます。

現代の東京と比較してみましょう。

全然違うね。

別の街と
思ってしまうね。

東京湾の開発は、戦後の高度成長期に行われた埋め立てなどが多いです。

寒村だった江戸に対して、

こうなったら、我が徳川家の本拠地に
相応しき街にしてみせる!

秀吉のように豪華絢爛な城は
後回し!

まずは、
都市・街の骨格を大きく変えるのだ!

そして、徳川家及び徳川幕府は江戸の大工事に踏み切りました。

そして、江戸時代末期には東京湾の埋立地以外は、ほぼ現代の東京の姿に江戸はなっていました。

1600年ごろの江戸(新教育紀行)

家康は、まず東に「小名木川」という河川を作りました。

これは「行徳で生産されていた塩」を「江戸に直送するため」でした。

1607年ごろの江戸(新教育紀行)

関ヶ原の合戦で大勝利した家康は、一気に「江戸の大改造」に乗り出しました。

一気に日比谷入江を埋め立てました。

この埋め立てによって、「広大な土地」を確保した江戸は大きな発展のきっかけを持ちました。

日本橋川(神田川)の流れを東に移動させ、隅田川に合流させました。

さらに大きな溜池が作られています。

現代、赤坂付近の「溜池山王」は、この溜池の名残の名称です。

1620年ごろの江戸(新教育紀行)

江戸城の大幅な工事が進行し、大きく内堀が作られました。

そして、現代の銀座付近に多数の堀割(小さな河川)が作られました。

江戸は「水の都」だったのです。

1639年ごろの江戸(新教育紀行)

1639年頃の江戸となり、急速に江戸の街・都市が形成されているのが分かります。

江戸城の外堀が大きく作られ、さまざまな河川・水路が構築されました。

観察と記述問題に強くなるコツ:気付いたことをハッキリ

地理の観察・記述問題

徳川家康は1590年に領土が東海・甲信地方から、関東に移動します。

そして、拠点を江戸に移します。

江戸に移った家康は、江戸の街づくりを進めます。

下の家康が江戸に入る1590年の江戸と現代の東京の地図を考えてみましょう。

1590年ごろの江戸(新教育紀行)
現代の東京(新教育紀行)

1590年の江戸と現代の東京を比べて、異なる点を説明して下さい。

東京湾の大規模な埋め立ては、戦後に行われたので「東京湾の埋め立て」は除きます。

東京湾ではなく、江戸城・皇居の周辺の土地や川の変化に関して説明して下さい。

上の二つの地図を比較して、考えてみましょう。

地形が全然異なるので、いろいろな違いを考えてみましょう。

社会や理科で「〜を説明しなさい」「異なる点を説明しなさい」という問題があります。

そういう時は、

何かに
気づかなければ!

と答えを探す姿勢も大事かもしれませんが、理科実験のように「じっくり観察する」ように見てみましょう。

すると様々な「違い」に気づくでしょう。

「じっくり観察」って、
よ〜く見ればいいのかな?

よく見てみれば、何かに気づくでしょう。

それでも気づかなかったら、
どうするの?

というか、気付いても「それが正しい答え」
じゃないかもしれないし・・・

こういう「何か気づく」問題は、出題者側に明確な意思があり、

このあたりに
気付いて欲しい・・・

という基本的な解答例がいくつかあります。

その「解答例を書く」ことが望ましいかもしれませんが、こういう比較における「違い」はたくさんあります。

中には出題者が想定外の答えがあって、

うん?
これは・・・

あっ、確かに
これは違うね・・・

むしろ細かな違いだけど、
これはこれでいいね・・・

とある程度の点を与えることもあるでしょう。

江戸から東京への大きな違い:東京湾以外

・江戸城(皇居)のすぐ南にあった日比谷入江が埋め立てられた

・江戸南西部にあった大きな川が埋め立てれた

・東京湾に流れていた日本橋川などの川が東に向けられて、隅田川へ合流した

・江戸城(皇居)北東側に隅田川に合流する新たに川がつくられた

・隅田川の東側のエリアに多くの川が新たに作られ、特に東に向かった川がつくられた

・江戸城(皇居)周辺の川は少なくなっているが、川の太さは太くなっている

問題の解答例は上の通りです。

これらのうち、3つ程度を書けるようになると良いでしょう。

「異なる点を3つ」という時は、「4つ以上の大きな違い」があることもあります。

ここは、違うと思うけど、
どう説明しようかな・・・

「どう説明すれば、良い点がつくか」と考えることがあるかもしれません。

基本的には「思った通りで良い」でしょう。

このような「違いの記述」の模範解答例は、スッキリと良い文章で記載されていることが多いです。

それは「プロが書いた模範例」なので、中学受験生の場合は「小学生らしく素直に」書くと良いでしょう。

言葉が多少拙くても、文章としてのまとまりが少し欠けていても良いでしょう。

時間制限のある中、たくさんの問題を解く受験生は大変です。

文章の出来よりも、「気付いたこと」をハッキリ書きましょう。

新教育紀行

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