日本を長く見つめてきたスティムソン陸軍長官〜開戦間近の日米関係とハルノート・大きく異なる日米の政治機構・東條英機総理大臣誕生〜|ヘンリー・スティムソン4・人物像・性格

前回は「超親日派だったヘンリー・スティムソン〜大いなる感受性と信念・原爆投下地・京都の除外・日本人の精神の故郷・京都=Kyoto〜」の話でした。

ヘンリー・スティムソン陸軍長官(Wikipedia)
目次

日本を長く見つめてきたスティムソン陸軍長官

新教育紀行
銀閣寺(新教育紀行)

Kyotoという街は、
雰囲気も街並も非常に美しい・・・

Kyotoは、
実に素晴らしい街だ・・・

Kyotoをこよなく愛するスティムソン陸軍長官。

フランクリン・ルーズベルト米大統領(Wikipedia)

ルーズベルト大統領から、陸軍長官就任を打診されました。

ヘンリーは国務長官経験者で、共和党重鎮。
彼こそ陸軍長官にベストだ!

ヘンリー、
陸軍長官に就任して欲しい。

承知しました。
陸軍は私にお任せを!

そして、ヘンリーは陸軍長官就任を引き受けます。

実は、「Kyoto大好き」人間であったヘンリ・スティムソンは日本を長い間見てきました。

新教育紀行
満州国(Wikipedia)

1931年の満州事変によって、傀儡の満州国を樹立した大日本帝国。

この時、米国の国務長官(外務大臣などの権限を持つ強力な立場)だったのが、スティムソンでした。

Japanの軍がChina(中国)で
暴れ回った頃、国務長官だった・・・

勝手に侵略して、
一方的に国家を樹立するなど言語道断であった・・・

Kyotoを愛していたスティムソンは、日本の歴史や国家状況をよく理解していました。

私はJapanを長い間
見つめてきたのだ・・・

この時は、日本では実に不思議な事態が起きていました。

実は、日本政府自体は「中国へのさらなる侵略を止める」方針だったのでした。

新教育紀行
幣原喜重郎 外務大臣(Wikipedia)

穏健派だったエリートの幣原喜重郎 外務大臣は、

もうこれ以上
戦争を拡大するな!

と陸軍に指示を出しますが、陸軍は、

陸軍の参謀総長は、天皇を輔弼する
「統帥権」を持っている!

政府の外務大臣に
あれこれ言われる筋合いなどないわ!

陸軍、および現地の関東軍(日本の関東地方とは別)は暴走して、満州国樹立に至りました。

さらに、勢い余って「国際連盟離脱」に踏み切った大日本帝国。

Japanの統治機構は
よく分からない点が多いが・・・

私は国内で最も
Japanを理解しているだろう・・・

こうして、日米戦争の足音が近づく中、スティムソンは陸軍長官となったのでした。

開戦間近の日米関係とハル・ノート

アドルフ・ヒトラー独総統(Wikipedia)

この頃、ヨーロッパではヒトラー率いるドイツの独壇場で、米国は参戦の機会を窺っていました。

日米交渉が続けられ、米国はハル国務長官が、日本は野村・栗栖駐米大使が、交渉を続けていました。

コーデル・ハル国務長官(Wikipedia)

当時、中国をはじめとするアジアの侵略戦争を大規模に実施していた日本。

ハル国務長官は、日本に対して非常な強行姿勢を貫きます。

Cordell Hull国務長官と野村・来栖米国大使(歴史街道 2021年12月号 PHP研究所)

そして、遂に、「ハル・ノート」と呼ばれる「最後通牒」を日本に突きつけます。

この提案の全てを、日本が
呑むことは、ない!

日本との戦争が開始することを予想していた、ハル国務長官。

あとのことは、
皆様にお任せします。

分かりました。
陸軍はお任せを。

あの美しいKyotoだけは、
戦場になってほしくない・・・

ハル国務長官は、陸海軍に本格的な戦争準備を依頼します。

親日派のスティムソン陸軍長官としては、残念に思ったでしょう。

だが、合衆国のために、
私は最善を尽くそう!

大きく異なる日米の政治機構:東條英機総理大臣誕生

東條英機 陸軍大臣(Wikipedia)

陸軍長官は、日本においては陸軍大臣です。

日米関係が悪化を続けている頃、日本の陸軍大臣は東條英機でした。

スティムソン陸軍長官は、第二次世界大戦を通じて、米陸軍を統括しました。

総理大臣に限らず、大臣や責任者がコロコロ変わる日本。

対して、米国は昔から「大きな落ち度がない限り、同一人物が続ける」姿勢が鮮明です。

なんと、スティムソンは1940年から日本が敗戦を迎える1945年まで、ずっと陸軍長官を続けます。

私は
ずっと対日戦で陸軍を指揮した!

陸軍長官の役目、それは陸軍の軍政面でした。

日本と米国は、軍部における組織が似ていて、下記のようになっていました。

日米の陸軍最高幹部

陸軍長官(陸軍大臣):軍政(人事・行政などの維持管理)の最高責任者

参謀総長:軍令(戦争・戦闘などの作戦指揮)の最高責任者

「陸軍内の組織は似ていた」日米両国。

一方で、陸軍長官(陸軍大臣)・参謀総長の立場は著しく異なっていました。

近衛文麿 内閣総理大臣(Wikipedia)

日米交渉を継続していた際、総理大臣だった近衛文麿。

不満を持った東條英機陸軍大臣が、辞任してしまいます。

もう陸軍大臣を
辞任します!

陸軍は、私の代わりの
大臣を出しません!

東條の代わりの陸相を、
陸軍が出してくれない・・・

これでは、
内閣を続けることはできない・・・

陸軍の嫌がらせによって、近衛内閣はあっさり倒閣してしまいます。

これは、米国では「絶対あり得ない事態」でした。

米国ならば、

陸軍長官は
Jackだ!

など大統領が任命すれば済みます。

「本人が受けるかどうか」はありますが、「陸軍が大臣を出すか出さないか」は関係ない話です。

昭和天皇(Wikipedia)

「日米開戦かどうか」という日本の危機的状況の中、内閣が倒れてしまい、昭和天皇は大きく危惧しました。

・・・・・

それほど陸軍の力が強いなら、
陸軍に総理をやってもらうしかないだろう・・・

そして、昭和天皇は東條英機を呼び出しました。

東條よ。
そなたが組閣せよ・・・

はっ・・・

私が総理大臣になるとは
思いもしなかったが・・・

これも米国とは全く、というよりも対照的に異なる風景でした。

米国ならば、

大統領に
立候補します!

と「自ら立候補して」大統領が決定するのに対して、この頃の日本は「天皇の一存」でした。

もはや、
一生懸命やるしかないな・・・

そして、昭和天皇から大命が東條英機に下り、東條英機が新内閣総理大臣となります。

東條 英機 新内閣総理大臣(Wikipedia)

そして、東条内閣の陸軍大臣は誰だったかと言いますと、

それは
知らないわ・・・

かなり
細かな知識だね・・・

それが問題で出たら
出来ないかも・・・

東條 英機新陸軍大臣(Wikipedia)

なんと、東條英機総理が兼務したのです。

えっ!
なんで?

陸軍大臣より、総理大臣の方が
偉いのではないかしら?

そもそも、総理大臣なのに、
陸軍大臣の役目も果たせるの?

すごく
大変そう・・・

これは中学入試では出題されないと考えますが、「当時の日本」を理解する上で大事なことです。

この「東條総理が陸相(陸軍大臣)兼務」の「米国ではあり得ない」事実。

この事実こそが、日米の組織上の「極めて大きな違い」が表面化した事態でした。

そして、この「極めて大きな違い」を引きずりながら、敗戦・終戦まで日本(大日本帝国)は突き進みました。

次回は上記リンクです。

新教育紀行

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