前回は「ヘンリー・スティムソン 4〜悪化する日米関係〜」の話でした。

目次
ルーズベルト大統領とスティムソン長官
日本軍による真珠湾奇襲攻撃によって、第二次世界大戦参戦した米国。

1941年12月から、日本が降伏した1945年8月までの4年弱の期間、スティムソンは陸軍を統括し続けます。
長きに渡って陸軍長官として、陸軍を指揮したスティムソン。
軍人ではなく、弁護士出身ながら、冷静に陸軍を統括し続けます。
異例の三選を果たしたルーズベルト大統領は、なんと戦争中に四選を果たします。
米国史上、類を見ない異例事態でした。
トルーマン大統領とスチムソン長官
しかし、ルーズベルト大統領は戦争末期に、病気で亡くなってしまいます。
変わって、大統領となったのは副大統領だったトルーマン大統領。

ルーズベルト大統領の急死という事態のため、トルーマン大統領は組織を継承します。
そして、スティムソンは陸軍長官を終戦まで続けました。

Stimson長官。
引き続き陸軍を頼みます。



陸軍はお任せを。
日米における陸軍大臣の立場
日米の陸軍最高幹部
陸軍長官(陸軍大臣):軍政(人事・行政などの維持管理)の最高責任者
参謀総長:軍令(戦争・戦闘などの作戦指揮)の最高責任者
陸軍の組織は、日米で似ていました。
日米共に、軍政の陸軍長官(大臣)と軍令の参謀総長の二頭体制だったのです。


陸軍長官(大臣)と参謀総長は、「どちらの立場が上なのか?」は、米国は陸軍長官でした。
対して、日米開戦時の首相だった東條英機首相。


なんと東条総理は、陸軍大臣と内務大臣を兼任しました。


そして陸軍は「参謀総長がボス」だったのです。
つまり、「日本政府と日本軍は別」でした。


この日米の大きな組織の違いこそが、東條首相が陸相を兼ねた大きな理由の一つだったのです。