「まさかの事態」が勃発した西郷〜強権振るう大老井伊直弼・勅許と米国との条約・急転直下の島津斉彬急死・「生きる軸」を見失った西郷・吹き荒れる「安政の大獄」の大暴風〜|西郷隆盛19・人物像

前回は「冴える西郷隆盛の政治工作と謀略〜天璋院篤姫の誕生・島津斉彬の秘策と謀略・一橋慶喜擁立と大奥対策・慶喜反対派の巻き返し・天敵井伊直弼の登場〜」の話でした。

西郷 隆盛(国立国会図書館)
目次

強権振るう大老・井伊直弼:勅許と米国との条約

大老 井伊 直弼(Wikipedia)

大老に就任した井伊直弼。

強権を振るい、強引な政治を行います。

駐日米国公使タウンゼンド・ハリス(Wikipedia)

当時、米国からハリスがきて日米通商修好条約の締結の話し合いが、幕府と米国で行われていました。

Japan(日本)の皆さん!
我がUS(米国)から、また来ましたよ!

早く新たな条約を
結びましょう!

いかにも怖い感じのハリスは、かなり強硬な人物でした。

おいっ!
早く条約を締結しろ!

孝明天皇(Wikipedia)

ところが、夷狄(外国人)が大嫌いの孝明天皇。

夷狄(外国人)と
条約などもってのほか!

孝明天皇が、猛烈に反対していました。

絶対に「条約締結」の勅許を下さない孝明天皇。

当時「日本政府だった」徳川幕府は外交権を持ちます。

本来は幕府単独の判断で条約締結は「可能と言えば可能」です。

ところが、幕府は条約に反対する勢力を封じ込めるために、

勅許を得れば、
反対派を黙らせることができる・・・

と「形式的」に孝明天皇・朝廷に勅許をして頂こうとしたところ、

夷狄との条約に
勅許など出さぬ!

「形式的」に頂くはずだった勅許がもらえなくなり、進退極まった徳川幕府。

手続き上、勅許がなければ条約締結は出来ません。

おいっ!いつまで、
待たせるんだ!

これ以上、
引き伸ばすのは難しい・・・

だが、
勅許は必要だ・・・

あくまで「勅許を得る」姿勢だった井伊大老でした。

外国奉行 岩瀬忠震(WIkipedia)

最前線で交渉を進める外国奉行 岩瀬忠震との間で、曖昧な意思疎通がありました。

「やむを得ない場合」は、
締結してよろしいですか?

「やむを得ない場合」は、
仕方なかろう・・・

この「やむを得ない場合とは何か?」が曖昧で、いかにも「日本らしい」状況でした。

実際に、ハリスたちと交渉した岩瀬は、

これは、
「やむを得ない場合」だな・・・

と判断し、「勅許を得ずに米国との条約締結」に至ります。

なにっ!
もう締結したのか!

これは、井伊直弼すら唖然とするほど「アッサリと断念」したのが実態です。

井伊自身が「想定外」でしたが、責任は全て井伊にあります。

まあ、
仕方なかろう・・・

勅許なしに
条約締結とは・・・

徳川幕府は
天皇に逆らう、ということだな!

激怒した孝明天皇。

「まさかの事態」が勃発した西郷:急転直下の島津斉彬急死

第十三代将軍 徳川家定(Wikipedia)

さらに、徳川幕府では大問題がありました。

現将軍 家定の後継者が二人いて、双方で派閥に別れて争っていたのです。

一橋派vs南紀派(歴史人 幕末維新の真実 KKベストセラーズ)

一橋慶喜は英邁の声が高く、島津斉彬も強く慶喜を推していました。

ここに「次期将軍は誰か」という将軍継嗣問題が勃発して、両派で鎬を削りました。

薩摩藩主 島津斉彬(Wikipedia)

慶喜様こそ、
次期将軍に!

そして、西郷隆盛は島津斉彬の命令を受けて、四方に飛んで、様々な工作を行いました。

ここで、大老の井伊直弼は

うるさい!
外野は黙ってろ!

次期将軍は、
慶福様だ!

井伊大老は強権を振るって、強引に次期将軍を決定しました。

水戸藩主・一橋斉昭は永蟄居、越前藩主・松平春嶽らを謹慎処分とする、強烈な処分を強行しました。

安政の大獄の始まりでした。

なんと、
なんたること・・・

井伊大老は
やりすぎだろう!

憤慨した島津斉彬は、

井伊大老の抗議に
上洛するぞ!

さらに、武力を背景に抗議するために、

薩摩藩兵5,000名を
率いるのだ!

「藩兵5,000名を率いる」というのは、全く穏やかではありません。

5,000名もの軍事力を連れて上洛というのは、

いざとなったら、
合戦だ!

ということです。

「薩摩藩士5,000名」というのは、他の藩では1万名以上の軍事力に匹敵します。

多大な費用もかかる大出兵を決断した島津斉彬。

我が国のために、
費用も何も惜しまん!

この斉彬の決意に西郷は大いに賛同します。

斉彬様が、
5,000名もの我が薩摩藩士を連れて上洛する!

西郷は勇躍します。

ここで西郷が「考えもしなかった事態」が勃発しました。

無念だ・・・

藩主の島津斉彬が、急死したのです。

この急死は毒殺などの暗殺の疑惑もあります。

症状等も不自然な点があり、斉彬反対派による暗殺だったのでしょう。

「絶妙なタイミングで人が自然に亡くなる」ことは、あり得ないことです。

な、斉彬様が
亡くなられただと!!!

あまりのことにショックを通り越して、目の前が真っ暗になった西郷。

もう、
終わりごわす・・・

目の前が真っ暗になって、暗澹とする西郷。

生きていても
仕方なか・・・

「生きる軸」を見失った西郷:吹き荒れる「安政の大獄」の大暴風

思想家 吉田 松陰(Wikipedia)

反対派は
粛清する!

強権を降り続ける井伊大老が、自分の反対者の粛清を始めたのです。

安政の大獄がさらに広がってゆきました。

越前藩士 橋本 左内(Wikipedia)

この時、長州の吉田松陰や橋本左内が捕まり死罪となります。

特に橋本左内とは一緒に様々なことを語り合い、対幕府や朝廷工作をした西郷。

あの
橋本どんが・・・

主君の斉彬が急死し、盟友たちが次々に投獄されます。

その中、

薩摩の
西郷隆盛も危険人物だ!

なんと、西郷自身もまた「捕縛される対象」となりました。

斉彬様も死に、
おいどんも捕縛されるのか・・・

西郷隆盛の人相書も諸方に配られ、もう逃げるのは難しい状況です。

「生きる軸」を見失った西郷は、

もう死のう・・・

月照(Wikipedia)

西郷さん、
望みを捨ててはなりません・・・

月照どん・・・

住職だった月照は熱い志を持っており、近衛家の信頼を得て西郷と共に様々な活動をしていました。

西郷の14歳上の月照に対して、西郷は兼ねてから、

素晴らしき
人物ごわす。

月照に敬服していたのでした。

月照どんと
一緒に再起するごわす!

「尊敬していた島津斉彬の急死」で人生を捨てかけていた西郷は奮起しました。

新教育紀行

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