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西郷隆盛 8〜知識至上主義へ〜|威人紀行

前回は「西郷隆盛 7〜知識優先へ〜」の話でした。

西郷 隆盛(国立国会図書館)
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日本の科学・技術力の大幅増強

その後、さらに知識を蓄え、日本なりにアレンジを加えて行きました。

その結果、大正・昭和期には自国で生産することが出来るようになりました。

その到達点の一つが、巨大戦艦大和でした。

戦艦大和(Wikipedia)

明治維新後、大きく変化した日本という「国家の姿」。

西郷は、どう感じていたのでしょうか。

・・・・・

知識至上主義へ

幕末、欧米との「文明の差」を見せつけられた日本。

薩英戦争 歴史道vol.6(朝日新聞出版)

とにかく、欧米の知識を身に付けなければ!

若者・子どもたちに、どんどん欧米の知識を
吸収させるのだ!

そして、国力を増強するのが最優先!

一蔵どん、それは違か!

知識は知識にすぎぬ。

それでは、西郷どんは、江戸時代と
同じ教育を続ける気でごわすか?

それでは、日本は植民地になってしまう!

おいどんも、一蔵どんも郷中教育で
育ったごわす!

あの教育は、もう古い!

違う!
違うのだ!

「前時代的かもしれぬ」郷中教育。

その郷中教育に対する視点もまた、西郷と大久保が「袂を分かつ」一つの理由になったのでしょう。

欧米の文明と日本の文明

明治維新の際には、「同志」というよりも「結託した親分と子分」だった西郷と大久保。

幕末志士らの年齢(歴史道Vol.6 朝日新聞出版)

小さな頃から知り合いで、3歳の差があったら、「対等になる」ことはあり得ません。

例えば、部活で「中一だったA君と、当時高一だった先輩B君」がいるとします。

そうした上下関係は一生つづき、「A君がB君と対等の口をきく」関係には決してなりません。

明治元年には西郷隆盛が42歳、大久保利通が39歳でした。

双方、「脂の乗り切った」頃に、明治維新を迎えたのです。

西郷・大久保等と共に、「倒幕」に人生を賭けてきた人々。

岩倉 具視(Wikipedia)

徳川幕府を「武力で倒す」という、革命を成し遂げました。

木戸 孝允(国立国会図書館)

しかし、徳川を倒したものの、「新政府の青写真」は誰も描けていませんでした。

これは、「能力的な問題」ではなかったのでした。

「倒幕」が、あまりに巨大な目標であったために、「その先のことを考える余裕がなかった」のが実情です。

我が国は、遅れ過ぎている・・・

欧米に全て学ばねば!

一蔵どん!
それでは、ただの「真似」でないか!

真似で良いのだ!

違う!
違うのだ!

倒幕後は、何もかも「噛み合わない」かつての「親分と子分」だったのでした。

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