前回は「西郷隆盛 5〜議論して実行〜」の話でした。

目次
郷中教育が重視した「十分議論し、実行」
現代、欧米の教育で盛んに行われている「ディスカッション」。
「日本の教育でも取り入れるべき」という声が、20年ほど前からありますが、進みません。
しかし、200年前の郷中教育や、諸藩の藩校・私塾では「ディスカッションが盛んに行われていた」のです。
知識は、欧米に大きく遅れていた面はあります。

しかし、小さな頃から「議論する姿勢」により、思考力を身につけてきた方々。
欧米よりも知識は劣っていたのは事実ですが、自ら考えて知識を知恵に飛翔させた方々。

その方々が、幕末・維新を引っ張ってゆきます。
明治維新期の世界と日本
実は、日本は一般庶民の識字率(読み書きできる方の割合)は、欧州よりも遥かに高レベルだったのです。
それは、当時の日本においては、誇るべき事実でした。
明治期、お隣の中国は「清」という国でしたが、事実上、欧米の植民地のような状況でした。
世界中が帝国主義で、「勝てば官軍」でした。
その中、「欧米文化を吸収しなければ、日本も植民地にされてしまう」という懸念が広がっていました。
懸念、というよりも「恐怖」が、特に政府首脳にありました。

実際に幕末に米国やヨーロッパと次々と条約を結びましたが、「恫喝されて、強引に結ばされた」のが実態です。

大久保・木戸の思い
長州出身の木戸、薩摩出身の大久保らの脳裏には、あるイメージがありました。
長州・薩摩は「自分達が実際に欧米と戦い、痛い目にあった」事件・戦争があります。

長州・薩摩が、他の藩と大きく異なること。
それは、「実際に英国や連合軍と戦った経験がある」ことでした。

そして、

海外を、実際に見なければ!



海外から積極的に学ばねば!
と考え、日本国内の全てが「欧米化へ」という方向に大きく舵を切るのです。