西郷隆盛 4〜個性生み出した郷中教育〜|人物像

前回は「西郷隆盛 3〜郷中教育での学び〜」の話でした。

西郷 隆盛(国立国会図書館)

今回は、郷中教育における、教育カラーの話です。

目次

個性的教育の郷中教育

非常に個性的とも言える郷中教育。

そして、それぞれの子ども達が、「語り合うこと」を重んじた教育。

「各藩が別の国のような組織」であり、諸藩が競い合って、それぞれの強いカラーを出していた時代。

中でも、薩摩の独自カラーは、突出した特徴を持っていました。

藩とは、「一万石以上の領土を持つ」大名の支配するエリアを指しました。

幕末維新時の藩(「最後の藩主」監修 八幡和郎 光文社)

幕末期には、約300藩が存在していたのです。

すごい数ね。

僕の住んでいる町のあたりも、
「藩」があったんだ!

最大の石高は「加賀 100万石」と言われる、前田家で102万石ほどありました。

1万石くらいの大名も、
たくさんいるわ。

これを見ると、薩摩・長州の石高が
大きいのがわかるね。

そういえば、徳川幕府も領土を
持っていたんだわ。

どのくらいあったのかしら?

徳川幕府の領土は「天領」と言われ、約400万石でした。

ダントツだね!

さすが「幕府」だわ。

さらに、幕府旗本は、300万石ほどを所有していました。

400+300で合計700万石が、徳川幕府の力ね。

すごいパワーだね。

日本全国で「約3000万石」と言われ、「大藩」であった薩摩藩の77万石は「日本全国の約2.5%」程度です。

大きいと言っても、
2.5%なんだね。

日本に「約300の国があった」とも言える、江戸時代。

薩摩藩は、さらに「各郷中が、競い合って独自カラーを出していた」とも言えます。

社会に出た後は、それぞれの郷中が、現代の「出身大学・高校」のような役割を果たしていたと考えます。

教育の個性へ与える影響

それぞれの子どもは、もって生まれた個性があります。

その個性は、成長してゆくに従って受ける、家庭の影響、あるいは教育の影響で大きく変わります。

「質実剛健の鑑」とも言える薩摩藩の郷中教育は、威風堂々としたリーダーを産む結果となりました。

どちらかというと、「頭の回転が良い」というよりも、「ドンと構えた」リーダーを多数生み出しました。

その最たる人物が、西郷隆盛です。

大久保利通も大人物・リーダーですが、彼の場合は威圧感がありすぎて「ドンと構えた」感じとは少し違います。

大久保 利通(国立国会図書館)

後に日露戦争で満州軍総司令官を務めた大山巌は、西郷の従兄弟でもあり、ドンと構えた総大将でした。

大山 巌 満州軍総司令官(日露戦争)(Wikipedia)

自ら考え、道を切り拓いてゆくタイプの教育の薩摩に対して、長州藩は、やや知識に偏った教育でした。

吉田 松陰(Wikipedia)

松下村塾では、武術の稽古とは程遠い内容で、書籍を重視し、吉田松陰の独自の考え方に感化を受けた若者が集まりました。

そして、高杉晋作・久坂玄瑞らの英雄を産みます。

高杉 晋作(WIkipedia)

「実行力重視」の薩摩郷中教育に比べて、少し理念的・観念的であった長州藩出身者。

西郷たちからみると、少し「書生っぽい」雰囲気もありました。

郷中教育によって、幕末維新期〜明治期において、薩摩藩の人材が強烈な個性・能力を発揮したのです。

郷中教育と現代中学・高校教育

小学生〜大学初等年の子ども・青少年が、一体となって学んだ環境。

この環境は、現代では、ほとんど見受けられないことです。

その中で、中高一貫校で、各学校がカラー・独自性を考えています。

中学入試を予定するご家庭は、学校の持つカラーをお調べになり、子どもとの相性を考えると良いでしょう。

また、その独自カラーが子どもに与える影響を考慮して、お子様に最適な学校を志願されるのがベストと考えます。

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