前回は「後藤新平の医師としての矜持〜東大との対決・ただ一つの帝国大学・東京大学医学部と北里柴三郎・脚気論争と大秀才森林太郎・「別の顔」を持っていた森〜」の話でした。
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明治期の日本と欧州と米国
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世界の学問の最先端は、ほぼ全ての分野で米国である現代。
「日本も強い」分野もたくさんありますが、なにもかもが米国が最先端であるのが現実です。
明治期の米国は「まだ若い国家」であり、南北戦争の傷がまだ残っていました。
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南北戦争で、
米国は荒廃してしまった・・・
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この南北の対立を乗り越えて、
広大な国土で米国は成長してゆくのだ!
南北戦争後に猛烈な勢いで発展する米国ですが、明治期はまだまだ欧州中心でした。
明治後期頃までの時期、学問の分野において米国より欧州の方が遥かに進んでいたのです。
江戸時代の日本には、さまざまな優れた学問的業績を挙げた方が出現しました。
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和算家(数学者)・関孝和や発明家・平賀源内などが登場しました。
江戸時代には、平面幾何の問題などの解法を記載して神社などに奉納する文化がありました。
算額と呼ばれ、数多くの優れた算額が見つかっています。
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このように江戸期の日本には、数学などの分野で優れた業績が多数見受けられます。
ところが、西洋のような「体系的学問」とは到底言えない程度のレベルだったのです。
学問から国家の姿まで「丸ごと輸入」した日本:寺子屋と識字率
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江戸時代には、多数の藩校・私塾・寺子屋がありました。
藩士などが通った藩校・私塾に対して、寺子屋は大勢の民衆を受け入れる非常に身近な存在でした。
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大勢の子どもたちが集まり、寺子屋でワイワイ一緒になって勉強したのです。
当時は、寺子屋が小学校〜中学校の役割を果たしていたのでしょう。
子どもたちは、寺子屋で「読み・書き・そろばん」を習得したのでした。
これら藩校・私塾・寺子屋では、
私に続いて、
声に出してください!
子、
曰く(いわく)・・・
子、
曰く(いわく)・・・
学びて思わざれば、
くらし・・・
学びて思わざれば、
暗し・・・
思うて学ばざれば、
あやうし。
思うて学ばざれば、
あやうし。
という感じで、小さな子どもから青少年が学んでいました。
そして、江戸時代の日本人は大勢の方が「読み・書き」が出来ました。
「読み・書き」が出来る人の割合を示す指標に「識字率」があります。
江戸時代の日本は、この識字率が非常に高かったことで知られます。
「識字率は欧州よりも高かった」という説もあります。
これは「識字率の基準」が曖昧であるため、はっきりとはしないです。
いずれにしても、世界と比較して「江戸期の日本の民衆の基礎的素養は比較的高かった」のは事実です。
明治維新の大きな原動力は、「外国、特に欧米列強に伍する国家をつくる!」という意識でした。
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富国強兵に邁進した明治政府。
陸軍はドイツ帝国(ドイツ)に、海軍は大英帝国(英国)に範を求めます。
そして、物理・化学・医学・法学など全ての学問は欧州に範を求め、学んだのです。
明治後期頃から「日本独自の考え方」が多少加味されるようになります。
しかし、明治初期は「とにかく欧州から丸ごと輸入する」姿勢でした。
そして、学問から軍隊、さらには国家の姿まで「丸ごと輸入」でつくりました。
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とにかく、
欧州から学ばねば!
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我が国は
何も始まらない!
とにかく、「何がなんでも欧州の最新の学問などを導入する」という姿勢だったのです。
ドイツで驚愕した後藤新平:森鴎外たちの西洋への強い憧憬
![新教育紀行](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/d42c516049d472cc8807516a702c20ae-1024x1024.jpg)
![新教育紀行](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/d42c516049d472cc8807516a702c20ae.jpg?resize=1024%2C1024&ssl=1)
そして、明治政府は大量の優れた若者を欧州へ留学させます。
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外国で学ぶことを
強く推進するのだ!
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![新教育紀行](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/3a8e3c114e2207a473548af3ad6687f4.jpg?resize=800%2C630&ssl=1)
明治新政府の外交デビューとなった「岩倉使節団」では、留学第一号の生徒を連れてゆきました。
この時の「留学生第一号」の中に、「若き」というよりも「幼き」山川捨松がいました。
山川捨松は、まだ12歳(数え年)であり、現代の11歳・小学校5年生でした。
とにかく、「日本で学んでも仕方がない」という状況だったのです。
後藤新平はドイツへ留学して、あまりに日本が遅れているのに衝撃を受けます。
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こ、
これは・・・
歯ぎしりして、ショックを受ける後藤。
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日本の医学は
ドイツの医学と比較にならない・・・
医学・物理学・化学などあらゆる面で、日本の学問は欧州より遅れていたのです。
それは「遅れていた」というレベルではなく「比較の対象にならない」のが実情だったのです。
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極めて優れた頭脳を持ち、非常に優れた軍医であった森林太郎。
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ドイツの医学を
どんどん吸収するのだ!
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そして、我が国の
軍を支える軍医学を発展させる!
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6年ほどプロシア(ドイツ)に滞在した森は、ドイツ語が非常に流暢になります。
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ドイツ語は
かなり分かるようになった。
そして、医学や軍事学を中心に多数のドイツ語の書籍を翻訳しました。
そして、森鴎外の名前で日本の文壇を縦横無尽に駆け抜けます。
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ドイツの医学は
素晴らしかった!
日本で抱いていたプロシア(ドイツ)への憧憬は、ドイツ留学でさらに増加します。
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あのビスマルクの
猛烈なパワー・・・
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プロシア(ドイツ)は、
なんでも日本より進んでいる!
プロシア(ドイツ)などへの憧憬が強くなりすぎた森鴎外。
ついには「欧州かぶれ」と言われるほど、その憧憬を強めます。
のちに五人の子どもに恵まれた森鴎外は、意外な名前(下記)を子どもたちにつけたのです。
子供 | 名前 |
長男 | 於菟 |
次男 | 不律 |
三男 | 類 |
長女 | 茉莉 |
次女 | 杏奴 |
次回は上記リンクです。