合格する記述の書き方〜大事なポイントをしっかり説明・秀吉の大飛躍と朝鮮侵攻・「中国の冊封体制とアジアの秩序」への大挑戦〜|武蔵中1990年社会5・過去問・中学受験

前回は「合否分ける記述の書き方〜簡潔にポイントを説明・ネルーの日本史分析・信長→秀吉→家康のバトンタッチと天下統一〜」の話でした。

目次

秀吉の大飛躍と朝鮮侵攻:「中国の冊封体制とアジアの秩序」への大挑戦

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原題に筆者が追加した問5に進みます。(原題は問1〜3、問7〜10の7問)

秀吉の朝鮮侵攻=文禄・慶長の役は、事実上大失敗に終わります。

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ジャワハルラール・ネルー インド首相(Wikipedia)
ネルー

朝鮮に侵攻したが、彼らは
たっぷり後悔させられた・・・

ネルーの視点から見れば「中国の弟的存在」だった日本が、一気に朝鮮に攻めたことは「異常」でした。

見方によっては「中国中心のアジア体制」とも言えたのが、この頃のアジアの国々です。

朝鮮の国々は「中国からの冊封」を受け、「国家を承認してもらっていた」存在でした。

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室町幕府第三代将軍:足利義満(Wikipedia)
足利義満

中国の支配下に入るのは
嫌なのだが・・・

足利義満

中国との貿易による利益の前では、
そんなメンツはどうでもよい・・・

強い権力を持っていた室町幕府第三代将軍・足利義満ですら、一時は「冊封を受ける」姿勢をもちました。

このように「中国中心の冊封体制」という秩序を、「弟の分際で破壊しようとした」のが秀吉でした。

出題者

彼らはたっぷり後悔させられた、は
どのようなことですか?

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京都が中心・重心の日本列島(新教育紀行)

当時は、家康が江戸(東京)に移封され、江戸が少しずつ活性化したものの、まだ田舎町でした。

京中心の日本の国家像における、「当時の江戸(東京)」に関する話を上記リンクで紹介しています。

そもそも、「外国への侵略」を考えた秀吉は、「なぜ朝鮮を狙った」のでしょうか。

当時は、現代のように正確な地図はありませんが、中国や朝鮮の位置は大体わかりました。

ネルーが言う通り、古来から中国・朝鮮との関係が非常に強く、また深かった日本。

対外侵攻を考えた時、「海を渡って最も近い」国が朝鮮だったことからも、

豊臣秀吉

まずは朝鮮を攻めて、
さらに明へ乗り込もう!

と秀吉は考えたのでしょう。

豊臣秀吉

我が豊臣軍ならば、
大陸全土を制圧できよう!

これは、現代の視点から考えれば、どう考えても「誇大妄想狂」としか考えられません。

日本及びアジアの歴史を理解していたネルーにとっては、

ネルー

日本が大陸に攻め込むとは、
信じられない事態だ・・・

という気持ちもあり、その気持ちが「たっぷり後悔」という表現につながったのでしょう。

合格する記述の書き方:大事なポイントをしっかり説明

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長篠の戦い(戦国合戦絵巻 ダイヤプレス)

実は、当時の日本の軍隊の強さは世界有数であったと考えられています。

さらに、鉄砲先進国であった欧州を抜いて、日本軍が「鉄砲保有数世界一」だったという説もあります。

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種子島・鉄砲館(新教育紀行)

1543年に種子島に鉄砲が伝来(諸説あり)の後、瞬く間に日本全国に広がっていった鉄砲。

九州や堺では鉄砲の大規模な輸入が続く中、鉄砲の国産化が進み、近江(滋賀)国友村などが有名です。

世界一かどうかは別として、世界トップ3には入っていたであろう、当時の日本軍の鉄砲装備率。

そして、打ち続く戦国時代を勝ち抜いた将兵たちの熟練度・訓練度もまた最強クラスでした。

豊臣秀吉

朝鮮を攻めれば、明軍が援軍に
来るのは間違いない・・・

豊臣秀吉

だが、我がオール日本の
豊臣軍団ならば、明と朝鮮を叩き潰せよう!

当時、「百戦錬磨の大将軍」だった豊臣秀吉。

秀吉が、こう考えたのは「ある意味で合理的」でした。

そして、

ネルー

彼らはたっぷり
後悔させられた・・・

とネルーが指摘するのは、最終的に日本が大変な敗北をしたことを指します。

加藤清正・小西行長をはじめとし、島津義弘・立花宗茂・鍋島直茂ら優れた将軍が多数向かった日本。

「戦国時代で長年戦い続けた」日本軍は強力で、緒戦は大勝利を続けました。

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朝鮮軍水軍大将 李舜臣(Wikipedia)
李舜臣

おのれ!
我が朝鮮に攻め込むとは!

李舜臣

日本軍を
叩き潰すのだ!

ところが、明軍の強力な援軍に加え、李舜臣など優れた将軍も登場して、日本は追い込まれました。

李舜臣(りしゅんしん、イスンシン)は、かなりの名将で、日本軍撃退の原動力となりました。

この「日本軍が追い込まれて、事実上敗北した」事実を「後悔」という表現踏まえて書きましょう。

問5の答え(解答例)

A.大名たちは勇んで朝鮮侵攻したが、明軍と朝鮮軍の反撃に敗北を喫し、多数の死傷者が出て多額の費用がかかったものの、得るものが何もなかったこと。(最も良い例:「後悔」が説明されている)

B.国内で合戦がなくなり「戦いを望む」将兵たちは勇んで朝鮮で戦ったが、明の大軍勢や朝鮮の反撃により、敗北を喫したこと。(最も良い例:問4との関係がある)

C.緒戦は日本軍が勝利し続けたが、朝鮮への明国からの援軍も加わり、反撃されて徐々に追い込まれて最終的に日本が敗北したこと。(良い例:「後悔」の説明ないが、経緯は良い)

D.日本の戦国大名たちが朝鮮で大いに戦ったものの、最終的に敗北したこと。(やや悪い例:「後悔」の説明がない)

E.日本が負けたこと。(悪い例:簡単すぎて、「後悔させられた」経緯が不明)

記述は「まずは書くこと」が大事で、簡潔なことが望まれます。

上記の「最も良い例」A,B「良い例」Cを簡潔にして、下記でも良いでしょう。

問5の答え(簡潔な解答例)

・朝鮮侵攻した諸大名は敗北し、多数の死傷者が出てお金がかかったが何も得られなかったこと。(最も良い例:「後悔」が説明されている)

・「戦いの恩賞」望む将兵は朝鮮でよく戦ったが、朝鮮軍と明軍の反撃で敗北し戦果がなかったこと。(最も良い例:問4との関係がある)

・緒戦は日本軍が勝利したが、朝鮮軍と明軍から反撃され、日本が敗北したこと。(良い例)

合否を分ける記述は「大事なポイントを簡潔に説明する」ことです。

記述の解答欄のサイズ・文字数などにもよりますが、まずは記述に慣れることが大事です。

それには、自分なりに「解答例を真似る」など書いてみましょう。

書いてみれば、

こんな感じで
書けば良いのかな・・・

こういう風に
まとめればいいんだ・・・

「自分なりの書き方」や独自の発想が生まれて、少しずつ書けるようになるでしょう。

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