前回は「歴史の痕跡から学ぼう 1〜紀尾井町の由来」でした。
社会の選択問題で、豊臣秀吉の天下統一に最後に抵抗した大名(後)北条氏が出ました。


選択問題とはいえ「小田原の北条氏」は細かい知識です。
戦国期の北条氏は鎌倉時代の執権・北条氏と一緒なので、区別するために後北条氏と言われることもあります。
名前は「たまたま」一緒だったのでしょうか。

実は、執権だった北条を「意識して」北条と名乗ったのです。
戦国期の北条氏は、北条早雲(伊勢宗瑞)から始まります。

北条早雲(伊勢宗瑞)は駿河今川氏と関わり、伊豆・相模へ進出して成立した「出来星大名」です。
もともと守護であった武田家、島津家、大友家等とは異なります。

早雲(伊勢宗瑞)の出自は様々な説があり、伊勢家という室町時代の高級官僚の出身という説もあります。
じわじわ関東に領土を広げた初代・伊勢宗瑞を継いだ二代目・氏綱。

名門の伊勢家だが、
関東では馴染みがない・・・



「伊勢って誰?」と
言われる・・・
そして、鎌倉時代の執権北条氏にちなんで「北条」と「勝手に」名乗ったのです。



鎌倉時代の執権・北条と
同じ「北条」に名前を変えよう。



関東の武士たちは「あ、あの北条さん?」と
思ってくれるだろう。



関東武士に馴染み深い名前を名乗る方が、
関東を統治しやすい。


鎌倉幕府が滅亡したのが1333年で、北条氏綱が「伊勢」から「北条」に改名したのは1523年頃と言われています。
つまり、鎌倉幕府滅亡から200年近く経過したのちの時代でも、「北条家」のブランド・パワーがありました。
特に、鎌倉幕府の根拠地である鎌倉も勢力圏に収める・伊勢氏にとっては、「北条」のブランドが欲しかったのです。



伊勢から、
北条へ!
すると、効果が大きく、
おい、最近、小田原城で
勢力を張っている連中は、「北条」らしいぞ!
あの「北条」の
末裔か?
だったら、
従ってもいいかもな・・・
かつての「著名な家」「大きな勢力を持った家柄」は、大きなブランドです。
そのブランドに乗っかるのは、明治維新初期にもありました。
こうして(後)北条家は、さらに勢力を拡大し、豊臣秀吉の天下統一の最後の敵となりました。
歴史が様々繋がっていることが分かると知識も広がり、確実になります。
北条時宗・元寇なども復習しましょう。