前回は「歴史の流れを知って、知識・記述問題対策しよう〜徳川幕府から新政府へ 3(廃藩置県の実態)〜」でした。
今回は現代にも残る歴史の痕跡から、歴史の理解を深めて、知識を増強する話です。
紀尾井町を例に挙げます。
紀尾井町は非常に高級なエリアで、ホテルニューオータニはじめとする高級ホテルなどが数多くあります。

実はこの「紀尾井」という名前には由来があります。
30秒ほど考えてみてください。ヒントは「3つの頭文字」です。

実は紀尾井町は、もともと紀伊徳川・尾張徳川・彦根井伊の各藩の藩邸があった地域です。
そこで、これら3家の頭文字をそれぞれとって「紀尾井」と命名したのです。
紀伊徳川・尾張徳川・水戸徳川は「徳川御三家」と呼ばれ、将軍につぐ家格とされていました。
これら三藩は、他の藩とは全く異なる扱いで、江戸時代は「別格」でした。
実はこの中で水戸徳川は少し格下に扱われていて、紀伊・尾張とは同格ではなかったのです。
この「家格が少し落ちる」水戸出身の最後の将軍 徳川慶喜。
家格が落ちることが、将軍になるにあたっての一つの、そして大きな障害でもありました。

そして、「屋敷が並んでいた」とは言え、御三家である紀伊徳川・尾張徳川と一緒に並んでいることからも、井伊家の家柄が諸侯の中で抜きん出ていたことがわかります。

「井伊家は、徳川ではないが徳川とほぼ同格」という扱いであったことが、この地名からわかります。
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井伊直弼 2〜井伊家と薩摩島津家の歴史〜|幕末維新 | 新歴史紀行|戦国時代・幕末維新・世界大戦
前回は「井伊直弼 1〜井伊家の肖像 1〜」の話でした。 井伊 直弼(Wikipedia) 超重要な近江 佐和山を任され、徳川家康から「徳川家の超重要な柱の一つ」として将来を嘱望…
このことから、幕末に井伊直弼のスタンスがわかります。
そして、「徳川を守るため」と「やりすぎ」とも言える安政の大獄を強行した井伊の気持ちが、少しわかる気がします。