前回は「社会の知識チェック問題 6〜人物と出来事の暗記〜」でした。
今回は明治維新の人物・出来事です。
1.長州藩出身の蘭学者・医師。長州藩の軍事指揮者の一人となる。
戊辰戦争では軍事の中心人物の一人となり、江戸城明け渡し後の上野の幕軍残党を倒す。
明治新政府の初代兵部大輔を務める。
2.1の人物が討伐した上野の幕軍の名前。上野の拠点名。

1は大村益次郎です。

元は村田蔵六という医師でしたが、蘭学への深い知識と当時最新鋭だった西洋兵学に非常に詳しい人物でした。
桂小五郎(木戸孝允)の強力な推薦により、表舞台に出ます。

木戸は人物を見る目がありました。
徳川幕府による長州征討では、高杉晋作らと共に一方の軍事指揮官となりいよいよ頭角を表します。

幕末に久坂玄瑞・高杉晋作らが次々と亡くなってしまい、人材が急速に減少した長州藩。
大村の存在感は益々高くなり、戊辰戦争では軍事指揮を執ります。

これも木戸の強力な推薦・バックアップあってのことでした。
薩摩の西郷隆盛とはずっと押し合いが悪く、大村は西郷を「悪党の如く」非常に敵視していました。

これは、西郷が大嫌いな木戸の影響もあります。
新政府内で物事を最も合理的・論理的に考える大村からすると、西郷隆盛の人格や生き様は「非常に危険」でした。
大村は「この男(西郷)は将来、反乱を起こすのではないか」と考えます。
維新10年後の西南戦争を予期したとも言え、大村の頭脳が優れていたのです。

戊辰戦争後、上野寛永寺(2の答え)に立て籠った彰義隊(2の答え)撃滅の軍事指揮を執ります。
大村は初代兵部大輔になります。
現在の防衛省次官で兵部卿(大臣)が公家でしたので、軍事の実権を握ります。
敵視する西郷隆盛が唯一の陸軍大将でしたが、冷静な大村は粛々と様々な改革を行います。
軍事を主導していた大村にとって、西郷を敵視するも、同じ薩摩大久保にはあまり興味がなかったのでしょう。

「西郷は絶対に危ない」と考えた大村は、将来西郷及び薩摩が反乱を起こすことを想定します。
そして、「対薩摩」の布陣で熊本鎮台・大阪鎮台を設置します。
「西郷が反乱を起こした場合、熊本鎮台・大阪鎮台で順次迎撃、その間に東京から救援部隊を増派する」という考えでした。

鎮台はいわば軍事拠点で、最初は国内に4箇所しかありませんでした。
後に暗殺されてしまう大村ですが、大村の構想は西南戦争で政府を守りました。
「熊本鎮台=熊本城」が西郷軍を大きく阻み、西郷軍を撃退する大きなキッカケとなったのです。