前回は「ドイツで驚愕した後藤新平〜西洋欧米への日本の強い憧憬・明治期の日本と欧州と米国・学問から国家の姿まで「丸ごと輸入」した日本・寺子屋と識字率〜」の話でした。
森鴎外の子どもたちの命名
プロシア(ドイツ)に6年ほど滞在した森鴎外。
文豪として有名な森鴎外の正体は、極めて優れた軍医である森林太郎でした。
帝大(東大)医学部に史上最年少で合格し、非常に頭脳明晰で優れた軍医だった森林太郎。
現代であれば、日本全国の模試・試験でトップを走り続けたであろう大秀才でした。
まあ、
私は頭は大変良い!
軍医であった森林太郎にとっては、「正体が森鴎外」だったかもしれません。
いずれにしても、軍医の最高階級であった軍医総監にもなった森林太郎。
「文豪と軍医トップ」のどちらかの人生を送るだけでも大変な功績です。
それを「二つ同時にこなした」巨大な才能を持っていたのが、森鴎外でした。
私の医学は
全てドイツで学んだ!
そして、ドイツ人に引けを取らないほどドイツ語が堪能になりました。
男子3人・女子2人の子どもに恵まれた森鴎外。
「ドイツかぶれ」の鴎外は、子どもたちに下記のような名前をつけました。
子供 | 名前 |
長男 | 於菟 |
次男 | 不律 |
三男 | 類 |
長女 | 茉莉 |
次女 | 杏奴 |
難しい漢字も多いです。
長男が
まず分からない・・・
長女は同級生にもいるけど、
「まり」だわ。
読み方を確認してみましょう。
子供 | 名前 | 読み方 |
長男 | 於菟 | おと |
次男 | 不律 | ふりつ |
三男 | 類 | るい |
長女 | 茉莉 | まり |
次女 | 杏奴 | あんぬ |
これでも、まだちょっとピンとこないです。
ひょっとして、
外国の名前?
「るい」や「まり」は、いかにも「外国の名前」です。
本来の外国の音にしてみましょう。
子供 | 名前 | 読み方 | 由来 |
長男 | 於菟 | おと | オットー |
次男 | 不律 | ふりつ | フリッツ |
三男 | 類 | るい | ルイ |
長女 | 茉莉 | まり | マリ |
次女 | 杏奴 | あんぬ | アンヌ |
なんだ、
そういうことね!
全て「外国の名前が元」であり、漢字を当てたのでした。
鴎外のドイツと欧州への極めて強い憧憬
これほど偏った名前をつけた森鴎外(林太郎)。
まず長男のオットーは、当時プロシア(ドイツ)で「鉄の宰相」と言われたビスマルクです。
ドイツ留学から帰国した直後に結婚した森鴎外。
あのドイツに
ちなんだ名前にしよう!
これで、「オットー」→「おと」→「於菟」に決まりました。
「於菟」の漢字はいずれも珍しい漢字です。
現代において、この字を名前に持っている方は非常に少ないでしょう。
次男のフリッツは、当時のドイツ皇帝からです。
ヴィルヘルム・フリードリッヒ・ルートヴィヒ・フォン・プロイセンという長い名前のドイツ皇帝。
「フリードリッヒ」は欧米では「フリッツ」という愛称で呼びます。
DavidならDaveなど、欧米では短くして名前を呼ぶ慣習があります。
あだ名はあっても、名前を縮めて呼ぶ習慣があまりない日本人にとっては、不思議な感じです。
三男のルイはわかりやすいです。
フランス共和国にたくさんいる「ルイ〜世」という王様に由来するのでしょう。
長男・次男にドイツ由来の名前をつけた鴎外は、
ドイツの
次は・・・
次は
フランスかな。
そんな気軽な気持ちもあったのでしょう。
それでは、長女と次女の「マリ」と「アンヌ」です。
フランス共和国の女性の象徴であり、「自由の女神」とも言われる「マリアンヌ」。
欧州では「知らない人はいない」ほど有名です。
プロシア(ドイツ)に傾倒しきっていた鴎外ですが、
プロシア(ドイツ)は、
帝国主義で男子には良いが・・・
女の子は、
やっぱりフランスかな。
現代日本においても、「欧州の女性」と言ったら「フランス人女性」がトップに上がるでしょう。
最も華やいだ雰囲気のあるフランス人女性。
そのイメージを、森鴎外は自分の娘に託したのでしょう。
深読みすれば「舞姫」のこともあり、
ドイツ人女性より、
フランス人女性の方がいいかな・・・
だったのでしょう。
完全包囲されて燃える後藤新平:相馬事件の大衝撃
相馬事件に巻き込まれた後藤。
敵は華族で
元大名の相馬家。
そして、衆議院議長で
弁護士の星亨。
さらに、
帝大(東大)医学部か・・・
超強力な敵たちに囲まれた後藤青年。
当時、内務省衛生局長という高級官僚であった後藤とはいえ、敵は巨大過ぎます。
・・・・・
強気一辺倒の後藤とはいえ、防戦一方となります。
しかし、
鑑定は絶対におかしい!
これは、私の
医師としての矜持だ!
帝大(東大)教授である
私の鑑定が違う、だと?!
帝大(東大)を
舐めるなよ!
ドイツでの留学は
非常に実り多かったが・・・
非常に
きつかった・・・
これまで
頑張ってきたんだ!
戦い抜いて
みせる!
後藤、
頑張れよ!
私は
お前を応援し続ける!
安場さんのためにも、
頑張って、勝ってみせる!
設置年 | 大学名 |
1877年 | 東京帝国大学 |
1897年 | 京都帝国大学 |
1907年 | 東北帝国大学 |
1911年 | 九州帝国大学 |
1918年 | 北海道帝国大学 |
1924年 | 京城帝国大学(韓国、のちに廃止) |
1928年 | 台北帝国大学(台湾、のちに廃止) |
1931年 | 大阪帝国大学 |
1939年 | 名古屋帝国大学 |
この相馬事件勃発の時、「ただ一つの帝大」だった東京帝国大学。
現代の東京大学であった東京帝国大学は、「国家の威信をかけて若者を育成する機関」でした。
「単なる大学」というよりも、「大日本帝国を背負う人物を育てる機関」であった帝大・東大。
その存在感は、現代の東大の1000倍以上であったでしょう。
帝大(東大)・衆議院議長・特権階級である華族に完全包囲された後藤。
いくら高級官僚であったも、「強気な性格」くらいでは挫けてしまう状況でした。
俺は絶対に
勝ってみせる!
このような絶望的状況でも、大いに燃える後藤青年でした。