前回は「ドイツで驚愕した後藤新平〜西洋欧米への日本の強い憧憬・明治期の日本と欧州と米国・学問から国家の姿まで「丸ごと輸入」した日本・寺子屋と識字率〜」の話でした。
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/6431febf060418382a3a59c42127d46d-1.jpg)
飛び級して東大医学部へ進級した森鴎外:超成績優秀だった鴎外
![新教育紀行](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg)
1862年生まれの森鴎外(林太郎)は実年齢を偽って、1873年に11歳で東大医学部へ入学しました。
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg)
11歳で
東大医学部だぞ!
当時は、大学制度確立の過渡期であり、森のように「実年齢を偽る」方は多くいました。
そして、1881年、満19歳で東大医学部を8位の成績で卒業した森。
江戸時代(徳川時代)から明治時代になり、混乱期であった時期に東大(帝大)医学部を卒業した森。
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg)
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg?resize=80%2C80&ssl=1)
19歳で
東大医学部卒業だぞ!
現代の日本では考えられない「超飛び級」です。
現代の大学受験制度と全然異なる制度であった当時。
当時の東大医学部入学は、現代の「東大理科III類へ合格」とは少し異なりそうです。
それでも、当時は頭脳明晰な人物が大勢向かった先であった医学。
そして、中でも「西洋医学を学ぶ」のは、超一流の子弟だけでした。
当時は、東大ではなく「日本でただ一つの帝国大学」であった帝国(東京)大学。
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg)
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg?resize=80%2C80&ssl=1)
まだ10代なのに、
8位で東大医学部卒業だ!
それは制度の甘さもありましたが、森の頭脳が超抜群だったことが大きな理由でした。
鴎外の子どもたちの「不思議な名前」
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/7e5574ef4eb8545075fbbae2addb6c03.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/7e5574ef4eb8545075fbbae2addb6c03.jpg?resize=800%2C800&ssl=1)
文豪として有名な森鴎外の正体は、極めて優れた能力を持った軍医である森林太郎でした。
帝大(東大)医学部に史上最年少で合格し、非常に頭脳明晰で優れた軍医だった森林太郎。
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/7e5574ef4eb8545075fbbae2addb6c03.jpg)
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/7e5574ef4eb8545075fbbae2addb6c03.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/7e5574ef4eb8545075fbbae2addb6c03.jpg?resize=80%2C80&ssl=1)
まあ、
私は頭は大変良い!
現代であれば、日本全国の模試・試験で常にトップを走り続けたであろう大秀才でした。
軍医であった森林太郎にとっては、
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/7e5574ef4eb8545075fbbae2addb6c03.jpg)
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/7e5574ef4eb8545075fbbae2addb6c03.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/7e5574ef4eb8545075fbbae2addb6c03.jpg?resize=80%2C80&ssl=1)
実は私の正体は
森鴎外!
だったかもしれません。
そして、文豪・森鴎外にとっては、
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg)
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg?resize=80%2C80&ssl=1)
実は私の正体は
軍医の森林太郎!
だったかもしれません。
いずれにしても、軍医の最高階級であった軍医総監にもなった森林太郎。
「文豪と軍医トップ」の、どちらかの人生を送るだけでも大変な功績です。
それを「二つ同時にこなした」巨大な才能を持っていたのが、森鴎外でした。
そして、1882年、20歳の時から6年間プロシア(ドイツ)へ留学しました。
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/7e5574ef4eb8545075fbbae2addb6c03.jpg)
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/7e5574ef4eb8545075fbbae2addb6c03.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/7e5574ef4eb8545075fbbae2addb6c03.jpg?resize=80%2C80&ssl=1)
私の医学は全て
プロシア(ドイツ)で学んだ!
懸命に学んだ森は、ここでも「超明晰な頭脳」を活かし続けました。
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/7e5574ef4eb8545075fbbae2addb6c03.jpg)
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/7e5574ef4eb8545075fbbae2addb6c03.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/7e5574ef4eb8545075fbbae2addb6c03.jpg?resize=80%2C80&ssl=1)
ドイツ語は
ドイツ人にも負けないぞ!
なんと、ドイツ人に引けを取らないほどドイツ語が堪能になりました。
そして、男子3人・女子2人の子どもに恵まれた森鴎外。
「ドイツかぶれ」の鴎外は、子どもたちに下記のような「不思議な名前」をつけました。
子供 | 名前 |
長男 | 於菟 |
次男 | 不律 |
三男 | 類 |
長女 | 茉莉 |
次女 | 杏奴 |
難しい漢字も多いです。
長男が
まず分からない・・・
長女は同級生にもいるけど、
「まり」だわ。
読み方を確認してみましょう。
子供 | 名前 | 読み方 |
長男 | 於菟 | おと |
次男 | 不律 | ふりつ |
三男 | 類 | るい |
長女 | 茉莉 | まり |
次女 | 杏奴 | あんぬ |
これでも、まだちょっとピンとこないです。
ひょっとして、
外国の方の名前?
「るい」や「まり」は、いかにも「外国の名前」です。
本来の外国の音にしてみましょう。
子供 | 名前 | 読み方 | 由来 |
長男 | 於菟 | おと | オットー |
次男 | 不律 | ふりつ | フリッツ |
三男 | 類 | るい | ルイ |
長女 | 茉莉 | まり | マリ |
次女 | 杏奴 | あんぬ | アンヌ |
なんだ、
そういうことね!
全て「外国の名前が元」であり、「漢字を無理やり当てた」名前が本性でした。
欧州への極めて強い憧憬を持った鴎外たち
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/Otto_von_Bismarck01ms.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/Otto_von_Bismarck01ms.jpg?resize=800%2C800&ssl=1)
これほど偏った「不思議な名前」をつけた森鴎外(林太郎)。
まず長男のオットーは、当時プロシア(ドイツ)で「鉄の宰相」と言われたビスマルクです。
ドイツ留学から帰国した直後に結婚した森鴎外。
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg)
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg?resize=80%2C80&ssl=1)
あのドイツに
ちなんだ名前にしよう!
これで、「オットー」→「おと」→「於菟」に決まりました。
「於菟」の漢字は、いずれも珍しい漢字です。
両方とも、現代でしようすることは非常に稀です。
おそらく、現代において、この字を名前に持っている方は非常に少ないでしょう。
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/Kaiser_Wilhelm_Ims.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/Kaiser_Wilhelm_Ims.jpg?resize=800%2C800&ssl=1)
次男のフリッツは、当時のドイツ皇帝からです。
ヴィルヘルム・フリードリッヒ・ルートヴィヒ・フォン・プロイセンという長い名前のドイツ皇帝。
「フリードリッヒ」は欧米では「フリッツ」という愛称で呼びます。
「デービッド」なら「デイブ」など、欧米では短くして名前を呼ぶ慣習があります。
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/Louis16ms.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/Louis16ms.jpg?resize=800%2C800&ssl=1)
三男のルイは、とて分かりやすいです。
フランス共和国にたくさんいる「ルイ〜世」という王様に由来するのでしょう。
長男・次男にドイツ由来の名前をつけた鴎外は、
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg)
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg?resize=80%2C80&ssl=1)
ドイツの
次は・・・
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg)
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg?resize=80%2C80&ssl=1)
次は
フランスかな・・・
そんな「気軽な気持ち」もあったのでしょう。
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/Marianne01ms.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/Marianne01ms.jpg?resize=800%2C800&ssl=1)
それでは、長女と次女の「マリ」と「アンヌ」です。
フランス共和国の女性の象徴であり、「自由の女神」とも言われる「マリアンヌ」。
欧州では「知らない人はいない」ほど有名です。
プロシア(ドイツ)に傾倒しきっていた鴎外ですが、
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg)
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg?resize=80%2C80&ssl=1)
プロシア(ドイツ)は、
帝国主義で男子には良いが・・・
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg)
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg?resize=80%2C80&ssl=1)
女の子は、
やっぱりフランスかな。
現代日本においても、「欧州の女性」と言ったら「フランス人女性」がトップに上がるでしょう。
最も華やいだ雰囲気のあるフランス人女性。
そのイメージを、森鴎外は自分の娘に託したのでしょう。
深読みすれば「舞姫」のこともあり、
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg)
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg?resize=80%2C80&ssl=1)
ドイツ人女性より、
フランス人女性の方がいいかな・・・
だったのでしょう。
この世界最先端の欧州に極めて強い憧憬を持っていたのは、森だけではありませんでした。
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg)
![](https://www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg)
![](https://i0.wp.com/www.e-voyage.net/wp-content/uploads/ebe42b8341a740cdeaf371fe0a76b509.jpg?resize=80%2C80&ssl=1)
やっぱり、欧州が
一番だ!
当時の日本の知識人にとって、欧州こそが「学問上、最高の地」だったのです。
次回は上記リンクです。