後藤新平 14〜医学部へ〜|学歴

前回は「後藤新平 13〜荒い気性〜」の話でした。

後藤 新平(Wikipedia)
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医学部進学

安場 保和 胆沢県大惨事(副知事)(Wikipedia)

後藤少年に目をかけてきた安場。

後藤少年が、「嫌になって東京から仙台へ帰った」話を聞いて、

あの性格だ。

仕方ないが、このままでは、
新平はマズイ。

後藤少年の「素質」は認めるものの、このままでは仕方ありません。

勉強させるのが良いだろう。

理解力は高そうだ。

福島県に赴任し、産業・教育振興に力を入れていた安場。

須賀川に福島県立須賀川病院・医学校(現 福島県立医科大学)を設立します。

後藤よ。
医学を志さないか。

一生懸命学ぶなら、
学費は援助しよう。

有難う御座います!
一生懸命学びます。

そして、出来たての須賀川医学校に入学します。

猛勉強

安場さんは、私の恩人だ!

安場さんの期待に応えるためには・・・

一生懸命勉強するしかない!

そして、後藤少年は猛勉強します。

勉強は大変だが、
数学や物理も面白い。

優れた医師になるぞ!

猛烈に勉強した後藤少年は、わずか二年半で卒業して医師として出発します。

現在、六年間の医学部教育が「二年半」という理由。

それは、後藤少年が優れた頭脳の持ち主であり、猛烈に頑張ったこともあります。

それと同時に、当時、明治政府が「西洋医学」の医師を増やすことに力を入れていたからです。

若手の医師へ

短期間での学びで、現代では「早すぎる」卒業ですが、猛烈に二年半学んだ後藤新平。

医師国家試験を目指して、見習医として「実務」につきます。

すると、安場が今度は愛知県に赴任することになります。

安場さんについてゆく!

俺も愛知県へ!

そして、1876年から愛知県病院で三等医として勤務を始めます。

2年前の1874年には、元参議・江藤新平が「佐賀の乱」を起こして、鎮圧されます。

下野した西郷隆盛の元には、大勢の元・薩摩藩士が集い、明治政府と対立していました。

西郷 隆盛(国立国会図書館)

そして、後藤青年が愛知に赴任した翌年に、日本を揺るがす大事件が勃発します。

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