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後藤新平 10〜名藩から賊軍へ〜|威人紀行

前回は「後藤新平 9〜官軍との戦い〜」の話でした。

後藤 新平(Wikipedia)
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猛将・谷干城

後の参議・板垣退助率いる迅衝隊。

この強力な舞台が、「新政府軍の増援部隊」として、まだ10歳だった後藤のいる仙台藩にやってきます。

後に「自由民権運動」を掲げた「民衆の代表」のような存在の板垣退助。

若い頃は、むしろ怖すぎて、普通の人からすると「近寄りたくない」存在だったのでした。

もう一人、重要な人物が迅衝隊にはいました。

迅衝隊の谷干城(中列襟巻をして刀を持つ男性)(Wikipedia)

後に西南戦争などで活躍する、谷干城も迅衝隊のメンバーでした。

この写真を見ると、谷干城も、ちょっと危ない感じで強そうです。

若き日の谷 干城(Wkipedia)

若き日の拳銃を持った谷 干城は、実に迫力があります。

谷干城たちを率いる上司・隊長として、最前線で戦闘指揮をしたのが、若き板垣(乾)だったのでした。

谷干城も、ちょっと怖くて、
強そうだわ。

こういう人たちが、倒幕軍にいたんだね。

谷 干城と西南戦争

このバリバリ武闘派だった谷 干城。

いわゆる「征韓論争」(明治六年の政変)で、西郷隆盛たちが一斉に下野した頃、薩摩反乱を危惧した大久保利通。

大久保 利通(国立国会図書館)

西郷どんが、旧薩摩藩士を率いて
反乱を起こすかもしれぬ・・・

旧薩摩藩士の強さ・強靭さは
私が一番知っている・・・

反乱の際、まずは熊本城を攻撃するはず。

熊本鎮台には、屈強の司令官を置かねば・・・

しかし、薩摩藩士に対抗できる屈強の人物など、
今の政府内にはいない・・・

谷 干城陸軍少将(Wikipedia)

いた!!!

谷だ!

谷ならば、薩摩軍と
互角に戦えるだろう。

谷しかいない!

谷よ。
熊本鎮台司令官を任せたい。

お任せを。

熊本鎮台は、誰にも
抜かせませぬ。

「目には目を」ということで、「屈強の指揮官・軍隊」には、まずは「屈強の指揮官を」です。

そして、谷が熊本鎮台司令官に就任します。

熊本鎮台司令部(前列中央:谷干城少将、後列中央:児玉源太郎少佐)(Wikipedia)

谷干城少将が司令官、若き児玉源太郎少佐が補佐役となり、薩摩出身の樺山資紀中佐も入ります。

そして、「対薩摩」の熊本鎮台の屈強メンバーが、誕生したのでした。

名家意識の挫折

善戦するも、官軍に敗れた仙台藩。

我が仙台藩にとどめを刺したのは、
板垣退助だと・・・

板垣・・・
覚えておこう。

なんと、領地を没収されてしまい、62万石から28万石へ、半分以下にされてしまいます。

あまりの減封に、家臣の中には、当時開拓中だった北海道へ向かった者もいます。

我が仙台藩が、朝敵・反乱軍と
なってしまった・・・

名家・名藩だったのだが・・・

明治維新が成立した1868年に、11歳だった後藤少年。

今の小学校5年生くらいです。

ならば・・・

俺が、仙台を立て直してみせる!

政治家を志します。

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